障害者として生きることを覚悟すれば吹っ切れる。
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2022.8.11
私はこれまで自分が左半身麻痺になってからのことを比較的赤裸々に書いてきました。今回は、障害者になってからのネガティブな考えやマイナス思考とどう付き合い、どう対処してきたかということについて書きたいと思います。
執筆:市川 潤一
私はこれまで、このパラちゃんねるカフェで、自分が左半身麻痺になってからのことを比較的赤裸々に書いてきました。
今回は障害者になってからのネガティブな考えやマイナス思考とどう付き合い、どう対処してきたかということについて書きたいと思います。
私がここまでネガティブに自分の左半身麻痺の後遺症をとらえる原因のうちのひとつは、麻痺になる直接の原因となった心筋梗塞のカテーテル手術のことがあるからだと思います。
私は自分の働き方や不規則な生活のツケとして急性心筋梗塞を発症しましたが、心臓ではなく脳に障害が残ってしまったのは手術が直接的な原因です。
事故やミスだと絶対に認めない当時の病院の態度に怒りを覚えてイライラしていました。急性期病院に入院していたときは、病院関係者に当たり散らすことで、鬱憤を晴らしているところもありました。今考えれば非常に迷惑な患者だったと思います。
もうひとつは、当時、独立したばかりで、これからが大事な時期という矢先のことだったので、「仕事が全部無くなってしまうのではないか」という恐怖感や焦りがあったからです。
とはいえ、こちらに対しては、私は幼い頃から、物事や人生が上手くいった試しがなかったので、「自分の人生なんてこんなもんだよなぁ」というある意味”諦観”の気持ちになっていました。
変な話、今のクライアントよりもお金がいいクライアントを探すチャンスかもと思いましたが、取材からライティング、撮影までまるっと請け負えるのが自分の強みだったので、「そもそもの取材に行けない体になってしまったことで、別の道を探さないといけない。ライターや文筆業にこだわるのを捨てないといけない」という気持ちが芽生えていました。
「今の自分にできる仕事とは何なのだろう」ということを四六時中考え、少しでもプラスの思考に切り替えられるようにしてきました。
それから私がマイナス思考やネガティブ発言を意識して控えようと思ったきっかけのひとつが、周りの人が離れていったり、苦言を呈せられたりしたこともあります。
「自分は障害者になったことがないからお前の気持ちは理解できないけど、別に障害者だけが生きるのが辛いわけじゃない。」
私がよく言われていたことです。
「自分がいくら不平不満やネガティブな発言をしても、きっと他人には理解されない。ただ、面倒だと思われるだけなのだろうな」と気づき、とやかく言うのをやめようとした部分もあります。
実際に私も自分が障害者になるまでは、障害者に寄り添う気持ちなどなかったですし、五体不満足で有名なあの方も、以前何かの記事で「自分は先天的な障害者だったので、後天的な方のことはわかりません」とおっしゃっていました。
そのことを思えば、障害者同士でもわかり合えないのに、障害者と関わったことのない健常者の友人が自分の気持ちを理解できないのは、当たり前のことだろうと思いました。
「結局は障害者になったからといって、他人を全面的に頼るわけにはいかない。行政や福祉のサービスを使って生活していることを良く思わない人も一定数いるし、自分の力で生きていかなくてはいけないのだろう。」と強く思い直すきっかけとなりました。
そのために、今の自分の身体条件に合う仕事も必死で探しました。先ほど、悟ったようにライターや文筆業は諦めて、みたいなことを書きましたが、本当には諦めきれないから、こうやってパラちゃんねるカフェで書かせてもらっているのだと思います。
発症して間もない頃までは自分を障害者であると認めるのを拒否していたところがありました。
時間が経つにつれみんなからは、立派に障害者と見られているということに気づき、「自分は障害者であり、障害者として生きていかなければならない。」という諦観や覚悟をしました。
そういう気持ちで生きていくことによって、まだまだすべてのネガティブを払拭できてはいませんが、自分の中のネガティブと共存していくことになっていったのではないかと思います。