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ボクのLiving with HIV~1

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2024.1.24

HIV感染症は、感染したと思われる行為をしても感染に気付かない事が多い感染症です。しかしボクは、振り返ってみるとその時期が何となく予測できました。

今回は、HIVに感染した思われる行為前後の体験をお伝えしたいと思います。

執筆:勝水 健吾 Katsumizu Kengo

ボクがHIV陽性告知を受けたのは2003年11月です。

ボクがHIVの陽性告知を受けた時代背景というものを理解していただくために、簡単ではありますが、日本におけるHIV/AIDSの歴史をふりかえってみましょう。

日本では1985年に初のエイズ患者の報告がありました。
その後、1986年長野県を皮切りに「エイズパニック」というものが各地で起こり、2~3年にわたりマスコミによってセンセーショナルに報道されました。

そして薬害エイズ事件。HIVか混入した非加熱血液製剤を使用したことにより、HIVに感染した血友病患者が、1989年東京と大阪の地方裁判所に、厚生省と製薬企業5社を被告とする損害賠償訴訟を起こしました。

1996年3月被告が責任を全面的にに認め和解が成立して、国は被害者救済を図るため、原告らと協議をしながら各種の恒久対策を実現させることを約束しました。

これによってどんな経路でHIVに感染したとしても、HIV感染症患者は『国がその治療を保証する』と言う意味で〝身体障害者〟に認定されることになりました。

厚生労働省|誓いの碑 より

そして1996年頃よりHAART(Highly Active Antiretroviral Therapy:多剤併用療法)と言う治療法が確立し(現在のART:Antiretroviral Therapy)、これによりHIV感染症は「死の病ではない」と言われるようになりました。

なので、ボクはこのARTが確立してからわずか5~6年後に陽性告知を受けた事になります。

※ココから先のお話は、ボクにHIVを感染させたと思われる人物が特定されたわけではなく、後から思い出した時にあの時に感染したのでは?と考えた上でのお話です。


ボクは27歳でした。
当時、地元を離れ一人暮らしをし、とある地方都市の公立病院に理学療法士として勤めていたのですが、プライベートの方は少々荒れておりまして(笑)。ちょうど半年ほど前に、数年お付き合いしていたパートナーと別れたということもあり、ネットの掲示板で知り合った人と一晩だけを共にしてセックスをする、と言う事を何度か繰り返していました。

医療短大(理学療法士になるための養成校)時代、感染症の勉強はしていたので「肝炎には気をつけなきゃ」と思っていたのですが、まだ、HIV/AIDSの事は教科書にも載っておらず、どこか対岸の火事のような感覚でいたのは事実です。そして「気をつけなきゃ」と思いつつもコンドームを使わないアンセイフ(un-safe)なセックスをすることも度々あり、3ヶ月に1回くらいのペースで保健所の無料匿名検査を受けていました。

確かあれは初夏…だったと思います。

ネットの掲示板で知り合った人とアンセイフなセックスをした翌朝、40℃くらいの熱を出し、仕事を病欠しました。元々ボクには扁桃腺肥大があり、子供の頃から喉が腫れて高い熱を出して学校や仕事を休むことはあったので、その日も当時の職場の耳鼻咽喉科を受診し、「扁桃腺がスゴク腫れてますよ」と医師から言われ、抗生剤や解熱鎮痛剤などを処方され帰宅しました。しかし3日くらい動けず病欠したと記憶しております。

やっと動けるようになり仕事に復帰したのですが、毎晩毎晩ひどい寝汗をかき、かつ日中も37℃くらいの微熱が続き、体は非常にしんどく大変な思いをしながら仕事をしていました。さすがに体が持たないと思ったので、2~3週間後に再び耳鼻咽喉科を受診し、医師から「まだリンパ節が腫れているから、一度、生検しようか」と言う話になりました。

左の首の「頸部リンパ節」と言うリンパ節(上図参照)を摘出し、病理検査(標本にして顕微鏡で細胞の状態を確認する検査)に出すことになったのです。

リンパ節を摘出するので、まあ簡単な手術と同じですが、金曜の午後にお休みをもらい、そのまま週末を休んで翌週から出勤しました。もちろん職場の同僚や上司には理由を説明して、検査当日の午後にお休みをもらったりしました。

2週間後、耳鼻咽喉科の医師からの伝えられた結果は“白”でした。リンパ節の検査では原因が特定されなかったのです。

しかしボクは相変わらず、夜はひどい寝汗をかき、昼間は微熱。
結局、ボクの勤務していた病院で2週間に1回診療をされている非常勤の血液内科の先生の診察を受けることになったのですが、血液検査をしても白血球数が高いくらいで他に異常はない、との見立てでした。とりあえず『不明熱』扱いになり、ボクはそれから毎日、ロキソニン(解熱鎮痛薬)を服薬しながら過ごすことになりました。

ここで一つお断りしておきたいのですが、2003年と言う時代背景から、血液内科の医師も『HIV感染症』と言う疾患を疑うことは、めったになかったと思います。

ただボクは、この頃から「もしかしたらHIVに感染したかも…」と思ってはいました。
いや、あのアンセイフなセックスをした翌日から何となく予感はあったんです。

そして、高熱を出してから2ヶ月が過ぎた頃からでしょうか。やっと微熱や寝汗も治まり普段通りに過ごせるようにはなったのですが、ボクの心は穏やかではありませんでした。

「多分、感染しとる」

そしてボクは、事実を確認するために、保健所の無料匿名検査を受けることを決めたのです。

1975年岐阜県生まれ。長く理学療法士として医療機関に勤務。働きながら社会福祉士免許取得後、大学院修士課程を修了。リハビリテーション療法学修士。その後、産業カウンセラーの資格を取得。現在はフリーの心理カウンセラーとして活動中。セクシャルマイノリティ(ゲイ)であり身体障害者(免疫機能障害)であり精神障害者(双極性障害)である。

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