余はいかにして精神障害者となりしか~第4回

雪原に立つ一本の木

どうも、昔ネットに「中学の時は頭おかしいやつがたくさんいたなぁ。〇〇(私の実名)とか」と、まるで並み居る狂人の代表格のように誹謗中傷されたことがある糸ちゃんです。ちなみにその書き込みは少ししたら消されてました。

余はいかにして精神障害者となりしか~第1回
余はいかにして精神障害者となりしか~第2回
余はいかにして精神障害者となりしか~第3回

親のマネーパワーで入学した大学時代の話

さて、今回は受験勉強を全くせずに何とか親のマネーパワーで入学した大学の話でしたね。それは四国は香川県にある、ほぼ定員割れのFラン大学でした。

さておき初めての一人暮らし! もうあのモンスターが毎晩毎晩、浮気相手に怒鳴り散らす声を聞かずにすむ……。出て行った父親から離婚調停の手伝いをさせれずにすむ……。そんな解放感で私の心はいっぱいでした。

余談ですが、私が引越しをする時に以前ラブレターをくれた向かいの家の幼馴染の女の子が手紙をくれました。封筒を開けると四つ折りの便箋の上に「恥ずかしいので開かないでください」とか書いてて、超かわいかったです(内容もよかったよ)。

霜に覆われた枝のクローズアップ

大学のことに話を戻します。実家から逃げたいという一心で特に目標もなかった私は、当時フロイトに傾倒していたこともあって、なんとなく「精神分析の勉強がしたいなあ」くらいの意識しかありませんでした。

しかし、父親から見せられたある新聞記事が私の運命を変えました。その記事には、精神保健福祉士(長いのでこれからはPSWと呼びます)のことが書いてあって、投薬やカウンセリングを行うのではなく、その人の環境にアプローチして健康な生活を取り戻すお手伝いをする、みたいなことが書いてあったのです。

第2回でお伝えした通り、当時の私は極度の精神医療嫌いでした。閉鎖病棟を退院してからすぐに通院もやめ、完全な未治療の状態であったのです。薬なんてあんな小さい粒ッコロで人の心が癒せるわけがないと確信していたんですね。

そのため、PSWはすぐに私の目標になりました。自分の信条にマッチしていたというのもありますが、私立大学でバカみたいに高額な学費を父親に払ってもらっているという負い目もあったように思います。ですが、国家資格を取得するという目標を4年間かけて果たせば、そんな罪悪感も多少は薄らぐというものです。 

雪に覆われた森の風景

本格的な勉強は2年生から始まりました。それで自分で言うのもなんですが、私はメキメキ頭角を現しました。中国・四国地方ではそこそこ有名な教授が2人いて、両方にめちゃ気に入られたんですね。

特に片方のいかついヤクザみたいな風体の(でも優しい)教授が目をかけてくださって、卒業するまで本当にお世話になりました。「糸ちゃんはマジでPSWに向いてるから、将来は絶対に専門職として活躍してほしい」そんな嬉しいお言葉を何度もいただきました。

PSWの勉強は本当に面白く、私が一番辛かった10代のあの時期に、こんなサポートを受けられていたら……。と、時に嫉妬すら感じました。

具体的な内容は、当事者を精神障害を患った哀れな病人として見るのではなく、ひとりの人間として尊重し、彼ら・彼女らの強みを活かして社会生活の面から自立を促す……。薬や医療的ケアも必要だが、PSWはそこを指導するわけではなく、むしろ様々なスキルを駆使して徹底的な対話の中で本人のニーズを引き出し、エンパワメント(当事者を元気づける)に繋げていく……。

そんな、目からウロコの世界に私はどんどんとハマっていきました。

夜に降る雪の様子

しかし同時にハマって「しまった」ものがあります。酒です。

「大学生なら酒好きになって当たり前ジャン?」と思われるかもしれませんが、私のそれは常軌を逸していました。初めはビールや酎ハイなどで満足していましたが、次第に度数40度とかの蒸留酒しか買わないようになり、1年半くらい完全な連続飲酒(常にアルコールが入っている状態)になりました。

みなさんは朝起きたらコーヒーや紅茶を飲みますか? 私の場合は、ジンやウィスキーでした。それを流し込んで頭がトロンとしてきたら大学に向かい、昼休みにもポケットに入れておいたブラックニッカを、タバコをふかしながら胃に注ぎ込みます。そのころの私の様子は明らかに異様だったらしく、友達からもずいぶん心配されました(特に助けてはもらえませんでしたが)。

その後、アルコール依存からひどい鬱状態が日々続くようになり、また毎日自殺のことばかり考えるようになりました。ある日、決行しようと思い立ちトイレのドアノブにロープをかけて首を吊ろうとしました。あと一歩踏み出せば死ぬ状態で30分ほど葛藤しながら立ち尽くし、結局やりきれずに号泣したこともあります。

最終的に玄関に知らない男たちが立っている幻覚さえ見るようになり、さすがに恐怖を覚えて断酒(毎日は飲まなくなっただけですが)しました。確か3年生になる前くらいのことだったと思います。

雪に覆われた赤い実

それからは心身ともに調子が回復し、またPSWの勉強に打ち込むようになりました。

実習も無事終わり、4年生になると卒論と国家試験の準備が始まります。卒論の方は、まあ余裕とは言わないまでも大して難しくありませんでした。私だけ早く完成してしまったので、同じゼミの学生を添削指導してあげていたくらいです(無給で)。

国家試験の方は、もともと心配性ということもあって毎日1~2時間は勉強することを自分に課しました。直前の数カ月は更に時間を増やしました。結果、合格ラインをはるかに超える高得点をたたき出し、そんなに頑張らなくてもよかったな……と、安堵とともに後悔を覚えたのもいい思い出です。

就職活動は、先述したお世話になっていた教授が「俺のコネでどこでも入れてやる!」と言ってくださり、それを真に受けて自分では何にもしていませんでした。結局、「どこでも入れる」なんてことはなくて2社ほど落ちたのですが、広島県の田舎にあるベッド200床くらいの中規模病院から、念願のPSWとして内定をもらうことができました。

今思えば、このころが私の人生で一番良かった時期だと思います。みなさんもお気づきかもしれませんが、第3回まではかなりおちゃらけた文体で書いていますが今回は普通ですよね? 

それは、大学までのことは思い出すだけで発狂しそうになるので、あのようなある種解離状態というか、あえてふざけた形でしか文章にできなかったのです。深刻に書くとそれこそ自殺したくなるので……。それに比べ、総じて大学時代は楽しかったですね。

次回は最初の就職から挫折し、長い停滞期間に入っていたこと。最後に現在に至るまでの話をダイジェストで書けたらと思ってます。なのでこのシリーズは次で最終回になる予定です。ではバイバイ!

余はいかにして精神障害者となりしか~第5回

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ABOUT ME
糸ちゃん
1994年生まれ。いじめや家庭内不和で精神障害(双極性障害Ⅱ型)を発症しながらも、福祉系の大学で4年間福祉について学び精神保健福祉士を取得。現在は大分県別府市にある訪問介護事業所で事務・広報の仕事をしている。 ライターとしての心がけは「しんどいことを楽しく伝える」こと。自身の体験を専門職と当事者両方の視点で語っていきたい。