余はいかにして精神障害者となりしか~第3回

明るい背景の前に立つ1枚の茶色のカエデの葉。背景にはぼやけた光の点が広がっている。

どうも、最近文章を書きすぎて自分が今なにを書いているのかわからなくなってきている糸ちゃんです。

さて、今回は16歳の時にぶちこまれた精神科閉鎖病棟を逃げるように退院し、しかし通っていた全日制高校はとうに退学してしまったので途方に暮れていた時期の話になります。

余はいかにして精神障害者となりしか~第1回
余はいかにして精神障害者となりしか~第2回

通信制高校への転校

10代にして完全にどこにも所属できなくなってしまった私を見かねて、父親が色々と調べてくれました。その結果浮上したのが通信制高校です。ここなら同じような境遇&まず通学など不可能な私でも卒業できるのではないかと提案してくれたんですね。まあ、なんとか息子を留年させることなく、現役で成年までもっていきたいという思惑もあったようですが……。

色々あって、入学することになったのは大分市のビルにある通信制高校、しかも「サポート校」です。これの意味はいまだによく分かってないのですが、実態はほとんど通学することなくほぼ答えの用意されたレポートを提出してれば進級できたので、まあ金のパワーで高卒資格を買う場所だったのだなと今は思っています。

そこは1カ月に1度だけ「スクーリング」という形で通学する必要があったのですが、最初の1年間はそれすらいけませんでした。では何をしていたかというと、ひたすら自室に引きこもって、読書や映画鑑賞、ゲームにふけっていたのです。

これを読んで「最高やん!」と思われたかもしれませんが、まあ楽しいのは最初の1カ月くらいです。本を読んでも感想を言う人がいない、ゲームも基本は独り、たまにオンラインで知らない他人と対戦(殺し合う)くらいで誰とも何も共有しません。

暗い背景に青く光るキーを持つゲーミングキーボードのクローズアップ。

こういう極端に孤独な生活が続くと、人間は頭がおかしくなります。様々な奇行を取り始めます。

そのほとんどがここでは書けないような脳ブロークン(?)なことばかりなので1つだけ具体例をあげると、オシッコをペットボトルに貯めて並べてました。数本溜まるとまとめて捨てるのです。ちなみにトイレは自室の目の前にあります。でも貯めます。なんのために? 知るか!

孤独な生活の中で唯一の話し相手

とまあ、さも完全な独りぼっちで寂しさここに極まれりみたいな自己憐憫に溢れる描写をしてきましたが、1人だけ話し相手がいました。それは母親です。

……これまで、1~2回を読んでくださった読者は「???」となったかもしれませんね。散々彼女の悪逆非道っぷりを書き立てて、どんなにひどい親かを詳述してきたわけですから。

しかし、当時の私の状況を想像してみてください。父は昼間仕事に出ていて、姉(初登場)は普通に県外の短大に通っています。そして私は重度の引きこもり。ここで論理的帰結を行い残った人間は誰でしょう? ママンしかいないやろがい!

そんなわけで、家の中では愛憎(ほとんどが憎)渦巻くいびつな母子密着の構造が定着していきました。それで、確かに話し相手にはなってくれたのですが、父も姉も実質いなくなり、従順な家来の私だけが残ったこの「お城」で、彼女の生来の悪癖が再燃します。

それは浮気です。毎晩毎晩、どこかの知らない男と電話口で怒鳴りながら大ゲンカしていました。母はたまに訪問介護のパートをしていたのですが、そこの利用者と寝ていたこともあったようです。うーん、職業倫理的にどうなの? そして皮肉にも私の今の仕事は訪問介護事業所の事務員です。

なので当時のルーティンとしては、日中読書などで取り込んだ膨大な情報をほとんど理解していない様子の母に垂れ流しながら、「時間」がくると2階の自室に戻って階下から聞こえてくる彼女の罵声を防ぐための耳栓をしながら眠くなるまで過ごしてました。

静かな水面に浮かぶ緑と茶色の秋の葉。背景は柔らかな光で満たされている。

高校3年生の進路決定の悩み

高校の方は2年生くらいの時から少しずつ通えるようになっていて、なんかの変なセラピーにはまっている危ないけど優しい女性の先生の指導のもと、バカみたいに小論文を書いていましたね。その訓練のおかげか、私は今でも「〇〇字まで」みたいな原稿の指定があっても、ほとんど意識することなくほぼ制限ピッタリの字数で文章を構築することができます。これは今の仕事に役立っているので素直に良かったです。

しかし、そんな気ままな生活にもやがて終わりが訪れます。そう、やつがやってくるのです。3年生の宿命、進路決定が。

先述したように大量の読書と小論文の訓練でその辺の能力は群を抜いていたのですが、いかんせん学生の本分を完全放置していたので、学力はウンチです。しかし就職はしたくない、というかできる気がしない。じゃあどうするか。勉強しなくても入れる大学を探すのです(くだらないですね)。

それで色々探し回って、どうも「指定校推薦」というものの存在を知りました。これは高校ごとに指定の大学が割り当てている枠のようなもので、大抵が面談と小論文で済みます。つまり学科試験は受ける必要がないのです。

結果、第一志望には蹴られたものの、香川県の4流私立大学になんとか滑り込むことができました。

逃避のための大学進学

ちなみにこの間、父親は家を出ていきました。私が京都と兵庫のオープンキャンパスに行ってきて帰ると消えていたんですね。帰宅してドアを開けると、母が見たこともないような悪鬼の形相でリビングに座っていたことを憶えています。

色とりどりの背景を持つ、緑と赤の模様が入った秋の葉のクローズアップ。柔らかな光が当たっている。

それは置いといて、このころの私は大学のブランドとか偏差値はどうでもよく、とにかく母という化物と2人きりで置き去りにされた地獄から逃げ出したかったのです。なので、志望校は最低でも九州外でした。最も恐れていたのは浪人です。正直、あと1年あそこにいたら母を殺していたと思います。

どうもキリがいいようですね。今回はここまで。次回はいよいよ始まるバラ色のキャンパスライフの話、やっと登場するPSW(精神保健福祉士)の話、あと長期間陥いることになったアルコール依存の話なんかを書けたらと思います。

じゃあみなさん、それまで生きろよな!

余はいかにして精神障害者となりしか~第4回

アピールしたい職歴・スキルだけで応募できる!
ABOUT ME
糸ちゃん
1994年生まれ。いじめや家庭内不和で精神障害(双極性障害Ⅱ型)を発症しながらも、福祉系の大学で4年間福祉について学び精神保健福祉士を取得。現在は大分県別府市にある訪問介護事業所で事務・広報の仕事をしている。 ライターとしての心がけは「しんどいことを楽しく伝える」こと。自身の体験を専門職と当事者両方の視点で語っていきたい。