ボクのLiving with HIV~2

朝露が付いた新鮮な緑の草のクローズアップ。

アンセイフなセックスをした後に体調を大きく崩したボク。しかしその原因を特定することは出来ず、心の中で「HIVに感染したかも」と思っていたボクは、保健所の匿名無料検査を受けることにしました。

ボクのLiving with HIV~1

無料匿名検査

前回、少し書きましたが、何度か保健所での無料匿名検査を受けた経験があったので『感染したと思われる行為から3ヶ月以上、日にちを空けて検査を受ける』ことが正確な結果を知るために大切なことだという事は理解していたので、その3ヶ月をしっかりと待って、検査を受けました。

ただボクが保健所の検査を受けるにあたって、いつもとは違う心配をしました。ボクは公立病院に勤めていたので、ボク自身が勤めている市の保健所で検査を受け、もしHIV陽性告知を受けた時の事を考えて(もちろん検査結果が職場にバレる事はないと分かっていたのですが)、少し離れた都市にある保健所の、夜間検査を受けました。

仕事が終わって、車に乗って1時間位でしょうか。
採血した日の事はあまり覚えていません。
「2週間後にこちらの紙をもって結果を聞きに来て下さい」
そう伝えられ、ボクは帰宅しました。

その2週間をどんな気持ちで過ごしたのかは、もう忘れました。

陽性告知

2週間後、その保健所の窓口で番号の書かれた紙をお渡ししたら「少々、そちらに腰掛けてお待ち下さい」と言われ、廊下のベンチで待たされました。

「多分。そうだ」

そして窓口で対応してくれた方とは違う方がボクを別室へ案内してくれました。そこには白衣を着た女医さんとおぼしき方が座って待っていらっしゃいました。

「検査の結果、陽性だと分かりました」

そんな感じの事を告げられたように思います。

一瞬で頭が真っ白になりました。

そしてしばらくの沈黙の後、思い出したかのようにホロホロと涙がこぼれだしました。それが止められなくなりいつの間にか嗚咽混じりに…。

その医師は、ボクが落ち着くまでしばらく待ってくださり、紹介状を書いてくださること、近隣の政令指定都市にあるエイズ拠点病院が専門病院なので、できるだけ早めに予約を入れて受診したほうが良いことなど、今後の手順を丁寧に教えて下さいました。

しばらくして、医師は「ツラいよね…」と声をかけて下さったのをきっかけに、またボクは堰を切ったように泣いてしまいました。誰に聞かれるでもなく、ポツリポツリと今後の生活への不安、仕事への影響、私生活のことなど話したのですが、一番強い思いで話しをしたのは、両親への申し訳無さでした。

五体満足に生んでくれて、やりたいことやらせてくれて、ココまで育て上げてきてくれた両親に本当に申し訳ない。ただただ、それをずっと口にしていたと思います。

そして仕事。
医療従事者であることは明かしたのですが、「こんな病気になったボクが医療従事者をやっていいのか」と言う事を医師に聞いた覚えがあります。医師からは「今は治療法が確立されているから仕事を変える必要はない」と伝えられたと覚えています。

今でも思い出すのは、ボクが落ち着きを取り戻しつつあるときに医師がかけてくれた言葉です。

「好きな食べ物は、何?」

ボクが「中華料理が好きなんです」って答えたら「じゃあ今夜は中華料理をたくさん食べて帰って下さい」っておっしゃられて。

なんかもう、笑うしかなくて。

そしたら少し、気分が落ち着いて時計を見たら、保健所に着いてからもう、1時間半も経っていました。

帰宅する車の車中で、色んなことを考えていたのですが、ただボクは不思議と「もう人生終わった」とか「死んだほうがまし」とかは全く思わなかったんですよね。むしろ「エイズ拠点病院を受診するのに、職場にどうやって説明して有給とろうか」とか「どのタイミングで予約の電話を入れようか」とか、そんな事を考えていたように思います。

ただ、やっぱりその日は、何も食べる気になれず、中華も食べないで帰宅しました。

エイズ拠点病院とは

少し、『エイズ拠点病院』についてご説明します。
エイズ拠点病院には『ブロック拠点病院』と『中核拠点病院』の2種類があります。ブロック拠点病院は、全国を8ブロックに分け、各ブロックに1施設設置されていて、主にエイズやHIV感染症の高度な診療を提供しHIV診療の水準向上と地域格差是正に努めています。
一方、中核拠点病院はブロック拠点病院の後方支援的な役割を担っています。
そして当時、エイズ拠点病院での診療というのは、平日、昼間しか行っていませんでした。

情報収集

さて、陽性告知を受けた夜、自宅に帰ってまずしたことはなにか…それはとりあえずインターネットで情報を収集するところから始めました。

当時、ゲイコミュニティー界隈では、HIV/AIDSの予防啓発運動が盛んで、その情報発信の場所として、HIV/AIDS予防啓発のコミュニティセンターが全国にいくつかあり、ボクもその存在を知っていて、ゲイバーなどへ行くとそのコミュニティセンターが配布するフリーペーパーが置いてあったりして、それを手にすることもありました。もちろん、ボク自身が医療従事者であったので、病気などの情報は何となくどこかで見聞きしていたので、ある程度の知識はあったと思います。

そして下のような図は、何かしらの機会で見ていたし、この図が意味することもちゃんと理解していました。しかし、いかんせん『具体的な療養生活』が見えてこない。

そこでインターネットで情報収集したのです。

当時、SNSなどと言うものはなく、老舗のTwitter (現:X)ですら2008 年 4 月から日本版が公開でしたし、日本で流行したmixiですら開始は2004年2月ですから、ボクが陽性告知を受けた2003年当時、一個人がどんな生活を送っているのかと言う事を知る手段としては、唯一〝ブログ〟があったくらいです。しかもそのブログも、多くの人が書くほど一般化しておらず、どんなにインターネットで検索してもHIV陽性者の日常が垣間見れるような情報は、見当たりませんでした。

どんなにどんなに調べても、厚生労働省やどこかの医療機関、研究機関が公開しているホームページにぶち当たるだけで、〝HIV感染症は死ぬ病気ではない〟〝薬でAIDSの発症を抑えることができる〟〝生活にはなんら影響がない〟など同じような文言が連なっているだけで、正直『現実味のある話』はどこにも転がっていませんでした。

その後にしたこと

ネットにはボクの知りたい情報が転がっていないと分かってから次に何をしたか。

正直、ボクはこういう事実を一人で抱えるだけの心に余裕がある人間ではなかったので(笑)遠方に住む仲の良い友人二人と、元カレに連絡を取りました。

「HIV陽性告知を受けてつらいから慰めて欲しい」とか「この苦しさを分かって欲しい」と言う気持ちはほとんどなく、むしろ「ボクはHIV陽性者になりました。今は大丈夫だけど何かあったらお願いします」みたいな、そんな気持ちで連絡をとったと思います。

ありがたいことに、みんなボクの事を拒絶することなく、静かに受け入れてくれました。友人二人は「何かあったら連絡してちょうだいね」と温かい言葉をかけてくれ、元カレは「大丈夫か?」と体調を気遣ってくれました。

そんな事を一晩のうちにやってのけたので、その日は確か、疲れて眠ってしまったと思います。

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ABOUT ME
勝水 健吾
1975年岐阜県生まれ。長く理学療法士として医療機関に勤務。働きながら社会福祉士免許取得後、大学院修士課程を修了。リハビリテーション療法学修士。その後、産業カウンセラーの資格を取得。現在はフリーの心理カウンセラーとして活動中。セクシャルマイノリティ(ゲイ)であり身体障害者(免疫機能障害)であり精神障害者(双極性障害)である。