健常者と恋愛や結婚はできる?~自分の存在が「重荷」になるのではないかという不安の解決法

雨に濡れた表面に置かれた結婚指輪。健常者との恋愛や結婚について考える。

健常者との恋愛は、ハードルが高そう…。
そう思い、出会いに臆病になっている障害者は少なくないのではないだろうか。

だが、どんな人と恋をし、家庭を築くかは障害の有無に関わらず、自由。
持病をきちんと理解してもらえば、健常者と障害者の恋愛に壁はないと私は思う。

「結婚」が現実味を帯びてきて恋愛を続けることが怖くなった

私はこれまで付き合ってきた人は、健常者ばかり。離婚した元夫も健常者であったし、現在、事実婚のような形で生活を共にしているパートナーも健常者だ。それは健常者と恋愛がしたかったからではなく、日常生活を送る中で健常者と関わる機会が多かったからだ。

私個人としては、障害の有無が恋愛の壁になるとは思っていない。障害者同士の恋愛も障害者と健常者の恋も自由であっていい、あるべきだと思っている。

けれど、結婚適齢期には、自分が将来、相手の「重荷」になってしまうのではないかと思い、健常者の彼との結婚を躊躇ったことがあった。

学生時代は、胸の真ん中に大きく残った手術の傷が彼氏にどう思われるかが一番の心配だったけれど、大人になり、より深刻な不安と向き合わなければならなくなったのだ。

日常生活が普通に送れるとはいえ、根治手術がない病気を抱えている自分は時限爆弾が体の中にあるようなもの。いつタイムリミットがきて、症状が悪化するか分からないし、現在の最高齢が50歳くらいであるという話を耳にしているから、老後を一緒に楽しく…なんていう未来は語り合えない。

ある日突然、症状が悪化して入院生活になってしまうかもしれないし、体調の悪化に伴って、何度も手術を受けなければならないかもしれない。

子どもが産めないことを理解してくれても、いつか「欲しかった」と後悔する日がくるかもしれない。

そうした、たくさんの「かもしれない」が現実になった時、自分自身は「自分の体のことだから仕方ない」と納得できるけれど、相手はどうだろうか。こんな苦しくて悲しい思いをするのなら、一緒に生きる道を選ばなければよかったと後悔するのではないだろうかと思ったのだ。

また、結婚となると相手の親や親戚も関わってくるため、障害も持つ自分はどう見られるのか、受け入れてもらえるのかも怖かった。

「障害を持っている子と普通は付き合いたいと思わないから、彼氏に感謝しなあかんよ」という親の言葉も自分を責める材料になり、こんなにも苦しい思いをするくらいのなら、おひとり様を貫いたほうがいいのではないかと考えるようにもなっていった。

持病の詳細や未来の不安を伝えることは幸せへの第一歩

お互いに黒いハートの形をした紙を持ち合う二人の手。健常者との恋愛や結婚について考える。

一緒にいたい気持ちと、離れたほうが将来的に重荷にならなくていいという安堵感の狭間で苦しい…。そう感じていた時、パートナーの言葉にハっとさせられ、考え方が変わった。

それは、将来の話をしていた時のこと。楽しそうに未来を語る彼が眩しくて、羨ましくて、憎らしくて「もし、私が動けなくなって寝たきりになったら重荷になるから、重いって言ってほしいし、切り捨ててほしい」と笑って伝えた。

そんな意地悪で返答に困る言葉に、彼は「それでもピクリと動かなくなるまで、一緒にいたいと思うかもしれん。それに病気のことなんて関係なく、別れることだってあるかもしれないよ。先のことは、その時に一緒に考えようよ」と言ってくれた。

その言葉を聞いて私の頭に浮かんだのは、相手の気持ちを勝手に想像して未来を悲観していなかったかという疑問。そして、そうした不安や持病の詳細を話し、理解してもらう努力をしたことがあっただろうかという自分への問いだった。

私は心のどこかで持病や抱えている不安を理解してほしいと思うくせに、恋人や将来を考えている相手に、持病を「先天性心疾患」とぼかして伝え、本当は体力がないのに「心配しないで」と誤魔化し、相手が思い描く未来図に「いいね」と安易な相づちを打っていた。

今も未来もどちらも大切にできていない、こんな生き方をしているから苦しいのではないのか。そう思ったから、生き方を変えることにした。

まず、「一緒に生きるのはやっぱり難しい」と言われるのを覚悟で、パートナーに自分の持病をしっかりと説明。そして、自分の中にある持病が悪化することへの不安や迷惑をかけてしまうかもしれない申し訳なさを話した。

また、風邪を引くと完治までに1週間ほどかかってしまうことやエナジードリンクは動悸がするため飲めないことなど、些細だけれど理解してもらえると楽になれることも伝えた。

そうした話に対し、彼は「それなら気を付けないとね」や「辛い時は、助け合おう。他にも何かあったら、言ってね」と言ってくれた。伝えれば、分かろうとしてくれる人がいるという発見は私の中で大きかった。

言いにくいことこそ、ちゃんと伝える努力をしなければならない。この一件でそう学ぶことができた私は今も不安を感じたら、その都度、彼に相談。時には彼の不安も聞きながら、ふたりで互いがちゃんと笑って生きられる道を模索している。

健常者と障害者は、時に見えている世界が違うことがある。健常者が普通にこなせることが障害者にとっては困難であったり、将来の見え方の違いに驚いたりすることもきっとある。

けれど、抱えている不安感や日常生活の中でしてもらえたら楽になること、理解してほしいことを共有し合えたら障害の有無に関係なく、互いに支え合える「家族」になれる。

障害者の中には、自分ひとりで何でも頑張ろうとしたり、相手の気持ちを慮って将来に繋がる選択を独断で決めたりする人もいると思う。だが、自分の存在が重荷になるかどうかは自分自身ではなく、相手が決めること。そんなに自分を責めず、自身が望んでいる幸せを貪欲に求めてもいい。

傷害の有無に関係なく、好きな人と自由に恋をし、幸せな家庭を築く。そんな幸せに目を細められる障害者が増えてほしい。

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ABOUT ME
古川 諭香
猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。