「何者かになりたい病」を、推し活で治癒させた発達障害者

繁華街に立つ「何者かになりたい病」を推し活で治癒させた発達障害者。

みなさんは「何者かになりたい病」という言葉を聞いたことがありますか?今回は私の「何者かになりたい病」が酷かった頃の症状と、その病を克服した推し活についてお話ししていきます。

みなさんは「何者かになりたい病」という言葉を聞いたことがありますか?

「何者かになりたい病」とは、「他の人にはない何か秀でたものを持って注目されたい」「賞賛されたい、有名になりたい」と過度に思っていたり、焦っていたりする状態を指すネットスラングです。

いわゆる、行き過ぎた承認欲求みたいなものかなと思っております。

何者かになりたい病の人は、とにかくキラキラした未来を夢見るばかりで現実が見えておらず、周囲に迷惑をかけてしまうような言動につながりやすいです。たとえば、注目を集めたいがために突拍子もないことをしたり、嘘の経歴をついたり、挙句の果てに普通に生活している他人まで見下して攻撃してしまうなど、色々と厄介な性質です。

だからこそ、精神科で診断されるような正式な呼び名でなくても「病」と言われるのでしょう。

発達障害者は、この「何者かになりたい病」になりやすいと言われることもあるのですが、障害のせいで生きづらさを感じやすかったり、世間から蔑ろにされやすかったりするので、その反動ではないでしょうか。

ADHDと自閉スペクトラムを持つ発達障害者の私も、この「何者かになりたい病」にかなり苛まれていました。

しかし、私は推し活のおかげで、この病を克服しました。推し活は本当に心の健康に良い。

今回は私の「何者かになりたい病」が酷かった頃の症状と、その病を克服した推し活についてお話ししていきます。

幼少期から何者かになりたい病が酷かった

繁華街のスクランブル交差点に立つ女性。発達障害を持つ人が「何者かになりたい病」を推し活で克服したことを象徴するイメージ。

私は幼少期から「とにかく目立ちたい」「テレビに出たい」「賞賛を浴びたい」「自分が真ん中に立ちたい」そんな子供でした。

自分以外の子供が褒められているとすごく苦痛で不機嫌で癇癪を起こす、自分が1番ではないと気が済まない子供でした。

口癖は「有名になりたい」「芸能人になりたい」「売れたい」「みんなの憧れになりたい」「歴史に名を残したい」そんなことばかり言っていました。

高校生でみんなが進学先進路について悩んでいるときも、大学生になってからもそのマインドはちっとも変わりませんでした。

しかし、その頃には自分と同い年や年下の子が、芸能人デビューやら、若手起業家やらでどんどん活躍し始めます。それに比べ自分には何もない。

当時、私は「何者かになりたい」という想いを抱き、田舎から東京の大学に出てきていたのに、何者にもなれていなかったんです。渋谷のスクランブル交差点で、「私は何者でもない。ただの群衆の1人として歩いているのか」と自己嫌悪に陥り、泣くこともありました。

そのころはまだ発達障害が故に学校での人間関係や学業がうまくいかなかったりして、結果として、身体を壊してしまいました。

身体を治すためにと実家に戻りニートになってからも「何者かになりたい病」は継続。ベッドの中で起業するための本、著名人の自己啓発本、ビッグになるための本などをたくさん読んでいました。何してんねん。

とにかくビッグになる、身体を壊してるけど、ニートだけど、私は何者かになりたい。そんなフラストレーションが溜まっていて、病院に行っても突然「私はインフルエンサーになりたくて」と語り出していました。

推し活で消えた「何者かになりたい病」は変化した

アイドルの映像をテレビで見ている女性。発達障害者が推し活を通じて「何者かになりたい病」を克服した様子を表現したイメージ。

しかし今、応援してくれる推しを見つけてから、私の何者かになりたいという異常なまでのドロドロした感情は、「推しが歌って踊っている姿を見れたらそれで幸せ」という気持ちにまで落ち着きました。

幼少期からずっとあったドロドロな感情がなぜそんな風にまで変わったのか。

最初は大きなステージで歌って踊ったり活躍している推しを見て、自分の「何者かになりたい」「目立ちたい」が「推しに活躍してほしい売れて欲しい」にすり替わりました。

自分が叶えられなかった世間で活躍をする夢を、推しに代わりに叶えてもらう、いわゆる代理満足に近かったと思います(女優を目指していた人が夢破れて結婚してママになって、自分の子供に子役デビューさせたがる心理に近いのかも…)。

しかし、推し活をしていく中で、私は推しにたくさん癒しや元気を貰えてかなり助けられました。ラジオにお便りを送ったら返してくれたり、コンサートに行けば最高のパフォーマンスをしてくれたり、(多分)目線をくれたり。嫌なことがあったときも、スマホを開けば推しが動画で癒してくれました。

「推しに会いに行きたいから」という理由でバイトを始めたので、ニートを脱出&身体を治すきっかけもくれたのも推しです。

つまり、私にとって推しって存在してくれているだけでありがたいんです。

もちろん、今以上に活躍してほしいし売れて欲しいけど、「とにかく推しが楽しく仕事を続けられて、そして私もその推しの様子を拝見できるのならば、それが最高で幸せじゃないか!!」と思えるようになったのです。

欲を言うならば、イベント会場には毎回出向きたいですし、もっとお話し会や握手会とかやって〜、とオタク心には思ってしまいますが。

とにかく、売れるとか、なんか活躍するとか、賞賛を浴びるとか、そのような外的評価は私は気にしない。

私にとっては推しが最高なのは変わらないから、これからも微力ながら推しを応援しよう。

そのために、自分自身の生活や仕事も充実できるように頑張れば良い。そんなシンプルな答えが生まれました。

「何者かになりたい病」を一時的には推しに背負わせて応援していたものの、いつの間にか推し活していくなかで、推しにたくさん癒しと元気をもらい幸せになって。

元々の「何者かになりたい」なんてドロドロした感情は消えていきました。

ライブに行くだけでも「何者かになりたい病」に有効?

ライブコンサートで盛り上がる観客。推し活を通じて「何者かになりたい病」を克服した発達障害者の体験を象徴するイメージ。

それから、これはちょっとハッピーすぎる視点ですが、推しのライブイベント会場に行くと、他人からチヤホヤされる感じを疑似体験できている感じがします。これはあくまでもサブ的要素ですが、承認欲求を満たす意味でも効果的なのかもしれません。

「何者かになりたい病」の人って、なぜかアリーナに立って大演説をかまして、何万人から拍手喝采を浴びてる想像ばっかりしてませんか?ちなみに、私はそうでした。

ライブに行けば、観客席からだけどその拍手を体感できますよ。

「そんなもんで満足するんかい!」とつっこみたくなる気持ちはわかります。

でも、満足するんですよ。私は「推しが拍手を浴びていると嬉しくなる=私が拍手もらっているようなもん」という脳内にハッピーな公式があるので結構効いています。

もちろん、中には「何者かになりたい病」が強い人はステージに立つ人を見るだけで「自分も立ちたい…」と嫉妬するらしいので人それぞれかなとは思います。

私は「自分もステージに立ったら推しが見えないやないかい!やだ!推しは真正面から見たい〜観客席が良い〜」です。これくらいの緩い考えも、生きていく上では大切だと思います。

「何者かになりたい」という気持ちは素敵!

デザイン作業中の女性。発達障害を持つ人が「何者かになりたい病」を推し活で克服し、集中して仕事に取り組む様子。

ただ、世間的に言えば私はまだまだ何者かになりたい病です。え〜っ!?

「ADHDのミス多発やASDの興味のあることしかできない」「チームワークができない」そんな特性のせいで、ライター業やクリエイター業に1人でトライ&エラー中です。自分では頑張っているつもりですが、「まだまだ地に足がついておらず、いつまでもゆめみがちな現実が見えていない、何者かになりたい病の人」と言われても仕方ないかもと思っています。

個人的には「何者かになりたい」と希望を描くのは何歳になっても良いことだと思うんです。

そこで焦らず黒いドロドロした感情を持たなければ、向上心の強い人間になれるのです。

私はこれからも何者かになりたい病とも発達障害ともうまく付き合っていくために、推し活でしっかり癒されようと思います。

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ABOUT ME
ゆめみがち
身体性表現障害で8年の無職ひきこもりから、推し活のおかげで社会復帰に成功。しかし会社に就職するもクビになり、直後にADHDとASDスペクトラムが発覚した。現在は自身の発達障害に向き合いながら、推し活の素晴らしさを様々な角度から発信している。