困ったとき、失敗したときには誰かに頼り、いつかは自分が頼られる人へ。~障害者向けオンラインライタースクール開校に向けて

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。そして今、私はクラウドファンディングをしている。

クラファンなんて陽キャな人たちがやるもので、陰キャな私なんて縁遠いと思っていた。しかし、私の今までの人生が私にそうさせているというか、自然の成り行きであるように感じている。

クラウドファンディングの開始

そのクラウドファンディングは今年3月18日から始まった。

多くの方々から応援、ご支援いただき、4月1日には、110名以上のご支援によって目標金額の200万円をスピード達成した。現在は第二目標である350万円を目指しつつ、6月の事業開始を目指して着実に準備を進めている。

内気な性格から本が好きで、文章を書く仕事を志したというのに、どうしてだろう、クラファンの詳細内容の書かれたチラシを持って毎日苦手な営業に出かけている。

クラファンなんて陽キャな人たちがやるもので、陰キャな私なんて縁遠いと思っていた。ふと我にかえり、私は一体なにをしているのだろうと、不思議な感覚に陥ることがままある。

しかし、決して嫌だとかやる気がないとか、やらされているとか、そういうことではない。私の今までの人生が私にそうさせているというか、自然の成り行きであるように感じている。

200万円の目標を達成した資料

フリーランスになった直後コロナ禍に

障害を負って学校に行くことも就職することも叶わず、親も頼れず、ただ押し出されるように社会に出て、仕方なくフリーランスの道を選択した。

社会経験もなく頼れる人も少なく、うまくやれない自分を責めた。運良く得ていたいくつかの仕事もコロナによって失い、不安で生活保護の受給や最悪障害者施設の入所まで考えていた。

コロナでのリモートワークができると証明されたのは希望の光

しかし塞翁が馬、コロナによってリモートワークが浸透してきた。コロナが明け再び通勤が主流にはなってきているものの、それでも在宅ワークが成立することが証明されたことは障害者にとっては希望の光だ。

このパラちゃんねるカフェの管理人であり、昨年12月に立ち上げたばかりの特定非営利活動法人こんぺいとう企画の副理事を務める中塚翔大氏との出会いも、リモートだった。

「自分とは何か」を文章を通して見つめなおせた

当事者として自分の障害について書くという仕事は、文章を書くのが好きで、TVで当事者コメンテーターとして発言をしてきた私にはおあつらえ向きの仕事だった。

毎月の編集者とのリモートでのやり取りも新しいことを知るきっかけとなり刺激的で、月に2~4本のペースで原稿を書いた。サイトにアップされたものをSNSで宣伝すると読んでくれた人がコメントをくれ、ますますやる気になる。

また、自分の過去を振り返り、自分の思いを文章にしていく作業は、「自分とは何か」を見つめなおす良いきっかけとなった。

自分が何が得意で何が苦手なのか、障害特性として何が出来て何ができないのか、改めて言語化することで、自己認知が深まった。さらに私の文章を読み、共感や興味を持ってくれる人たちは、当たり前のことだが、自分と相性がいい人が多かった。

正直な発信をすればするほど(もちろん、それによって離れていく人もいるが)、身の回りが自分の居心地の良い人たちにだんだんと変わってきた気がする。

キャリア形成の話から障害者向けのライタースクール事業に発展した

また、月に一回ほどのペースで行われた、元々敏腕キャリアコンサルタントである中塚氏とのリモート面談は、社会に触れて仕事をする機会のなかった私にとっては新鮮であり、貴重な機会だった。

キャリア形成について言われたときは、こんな明日がどうなるのかもわからない障害者のフリーランスがそんなことを考えられるわけがない!と思った。

資格がどうとか、キャリアアップがどうで年収がどうかとか、そんな他人事な話かと思いきや、実際話してみれば、自分がどんな人間で、生きていく中で何を得、何を大事にしたいか、どんな人生にしていけば自分は幸せになれるのか、という話だった。

なるほどそういう話なら、自分事として話すことが出来た。

けして恵まれた状況でないからこそ、過去と現在と未来を考えることは重要なことのように感じた。会社員で働くほど明確ではないにしろ、どんな生活を積み重ねていくとどうなるか、大筋の目標とそれの達成するための小さな目標を設けていくことは、心の安定にもつながる。

ハンディキャップを背負ったライターが執筆しているイメージ

そんな面談を積み重ねる中で、「豆塚さんがやりたいこと」の話になった。

ちょうどそのころ、コロナでフリーランスの暮らしにリスクを感じた私は、知り合いと訪問介護事業所を運営していた。しかし、身体障害のある私がヘルパーをやれるわけでもなく、元々の性格から生活を豊かにすることには興味のない私にとって、ひたすら事業所で事務仕事をすることはあまり向いていないように感じていた。

福祉の領域で何だったら自分の経験や能力を生かせるだろう、と中塚さんと考えたときにひらめいたのが、障害者の就労支援であり、障害者向けのオンラインライタースクール事業だった。

NPO法人立ち上げへ

昨年の春ごろから毎週リモートでのミーティングを重ね、NPO法人立ち上げに動いた。

普段の会社の仕事、フリーランスとしての原稿執筆や講演会の仕事の合間を縫っての活動はなかなかにハードだったが、それを忘れさせるほどに魅力的だった。夏から長年広告業界でデザイナーとして働いていた小野雄一氏がメンバーに加わり、活動はさらに活発になった。

普段から社会貢献的な仕事(自分で言っちゃう)をやっていることが功を奏したのか、どうにか年内にNPO法人が立ち上がった。そして今、こうしてクラウドファンディングで自分がやりたいこと、世の中の解決すべき課題を社会に訴えている。

「人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる」。

精神科医であり作家の神谷美恵子の言葉だ。今まさにそういったことをしようとしているのだと思う。

フリーランス同士の対談で「相談できない」という共通の悩みを認識した

READYFOR株式会社の宣伝画像

先日、フリーランスでプロのライターとして活躍している古川諭香さんと対談する機会があった。

その中で、フリーランスのライターとしての困りごとを話をした中で、お互いに強い共感を覚えたことがあった。それは「ノーが言えない」こと。また、困ったときに困りごとを相談しづらい環境でもある。

私が右も左もわからずにフリーランスとしてやみくもに仕事をしていた頃、困ったときに誰にどうやって頼っていいのかわからなかった。

というのも、フリーランスは次の仕事が保証されていないその都度の契約のことが多い。同じところから、また仕事をお願いしてもらうには、相手が期待する仕事以上のことをしなければ、と私自身、毎回意気込み、仕事に向かっていた。

そういった相手に「本当は困っています」なんていうことは、よくないことだと思い込み、また、自宅で一人黙々と作業する仕事であるから相談先もなく、自分なりの最良の判断をしていたつもりだった。

コミュニケーションや連携の重要性を学んだ

完璧主義になり、こだわりも強くなった。それが結果良い仕事になっていたか、今はもう確認しようがないが、むしろマイナスだったこともあったのではないか。

しかし、その後実際に組織で働いてみると、仕事の質を上げることより、いかに仕事のパス回しがうまくいくか、社内の同僚や取引先とのコミュニケーションや連携が大切だということを知った。

わからないこと、困っていることは一人で解決しようとせず、早めに周囲に相談する。うっかりの勘違いもある。早めに相談することで軌道修正ができれば、気が付けば頼まれていたことと全然違うことをやってしまってやり直しに時間を割く、なんてミスも防げる。そういったことは、社会人の経験なくたった一人在宅で働いていると学びづらい。

こんぺいとう企画のライタースクールでは、そういった社会人経験のなさから発生してしまう失敗もサポートできるといいなと考えている。

まとめ

学びは失敗にある。

仕事に選択肢がないどころか、失敗の経験も積めないなんて、そんな生きづらいことがあっていいわけがない。

困ったとき、失敗したときには誰かに頼り、いつかは自分が頼られる人になる。それが社会人になるということではないだろうか。

障害者関連の法律の整備が進み、これからますます社会と障害者との接点は増えていく。

人生100年時代と言われるこの時代に、病気や障害のある人たちにとって働きやすい社会、そして障害あるなしにかかわらず、誰もにとって生きやすい社会になっていくことを願っている。

アピールしたい職歴・スキルだけで応募できる!
ABOUT ME
豆塚 エリ
1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。 ■詩集の購入はこちら