進行性中等度感音性難聴の私は、補聴器を利用しています。
今回は、初めて補聴器を使ったときのことを回想してみます!
難聴を診断されたのは中学1年生のとき
私が初めて難聴の診断を受けたのは、中学1年生の聴力検査でした。
ヘッドホンから音が聞こえたら、ボタンを押すというよくある検査方法でした。
私がボタンを押さないことに違和感を覚えた先生が「本当に聞こえない?」「これは?」「これは?」と言ったのを覚えています。
しかし、中学1年で突然聞こえなくなったわけではなく、徐々に悪くなったのだと思います。
幼い頃から耳鳴りがしていましたし、正直なところ、聞こえてないのに聴力検査のボタンを押して誤魔化していたこともありました。幼いながらに自分だけみんなと違うのが嫌だったのです。
幼稚園生の頃、母親に「耳がキーンと鳴る」と訴えたことはありましたが、母親は特に気に留めていませんでした。私自身も「耳鳴り」が何なのかすらわかっていなかったので、大事に捉えていませんでした。
大きな病院での検査
聴力検査に引っかかってしまった私は、大学病院で検査をしました。そこで初めて感音性難聴という言葉を知ります。定期的に病院に通うように言われてしばらく通わせてもらっていたのですが、改善することはありませんでした。
田舎だったので車じゃないと行けない場所だったのですが、母親はしばらくすると面倒に思ったのか自分で行きなさいと言い始めました。私はタクシーで病院まで通っていましたが、それも程なくして足が遠のいてしまいました。
初めて補聴器を購入したのは大学生のとき
中学生のときは、医師から補聴器を提案されることはありませんでしたし、自分の中でも選択肢として浮かびませんでした。不自由さはありましたが、そこで自分が補聴器を使うことは想像できていませんでした。
大学に進学すると、4月に健康診断を受けました。そこでは、カウンセリング希望を出すことができました。私は記憶が曖昧ですが、耳が悪くて授業を受けるのが心配だということを書いたのだと思います。カウンセリングルームに通され、補聴器に興味があることを伝えました。すると大学の近くの耳鼻科を紹介されました。その流れはとてもスムーズで、紹介状に補聴器を希望している事を書いてくださいました。
そして耳鼻科に通い、補聴器屋さんを紹介され、流れるように補聴器ユーザーとなりました。
初めての補聴器
初めて補聴器を使ったときのことです。
紙が擦れる音、空調の音が聞こえたのですが、何の音なのかわからず「これは何の音ですか?」と聞いた記憶があります。補聴器を通した音はナチュラルではなく、紙が擦れる音が若干パキパキした音に聞こえました。
飲食店に行くと、BGMがやたら大きく聞こえ、お皿とフォークが立ててるカチャカチャという音が耳障りに聞こえました。
これは慣れの問題だと思いますが、みんなこんな音の洪水の中で生きているのかと感じました。
その後、あまり効果が感じられないと思い使用を辞めてしまう
上述の通り、聞こえてなかった音を感じることができる一方で「聞き取り」に関してはあまり効果を感じられませんでした。
聞こえているけど、聞き取れない。これが感音性難聴が抱える大きな問題です。会話がスムーズになるといった実感はあまり持てませんでした。
その後、社会人になり、数年は使っていたのですが、若かった私は補聴器を着けているのがバレるのが嫌なのと効果が感じられないという理由で次第に補聴器を使わなくなりました。
そして再び補聴器を使い始める
数年補聴器を使わない時期がありました。しかし、徐々に聴力が落ちていき、やっぱり補聴器がないと不便だと思い直しました。
初めて補聴器を買った頃から、約12、3年後でしょうか。新しい補聴器を購入する決意をしました。補聴器は数十万する割に、耐用年数5年と言われています。私が選んだのは約50万。それでも最上位のグレードではありません。
私にとっては高い買い物でしたが、日々のストレスが少しでも楽になればと思いました。
2代目の補聴器は随分小型に進化しており、驚きました。カラーバリエーションも豊富です。しかしながら、やはり補聴器を着ければ万全!というわけではなく、聞き取れない時は多々あります。着けてないときと対して変わらないとすら思っています。それでも着けないよりは多少はマシだろうの精神で、お守りのように着けて現在に至ります。
最後に
補聴器はメーカーによって音の聞こえ方が違うので、色々試させてもらって自分に合うものを見つけてください。
安くない買い物ですが、専門家と相談して少しでも暮らしが楽になればと思います。そして日々聴力が落ちてゆく中で、難聴治療が少しでも早く進化する事を祈るばかりです。