「お前のやることは全て無意味だ」
これは、私が小学生の頃に父親によく言われていた言葉です。
「全て無意味」、かなりざっくりと…でも一言で人間を何もかも全否定する、うまい言葉だなと今は思います。
こんな言葉にはじまりいつ何時不機嫌になって怒り出すかわからない父親に怯えながら、パニック障害と鬱を発症し、今もその病気と付き合っています。
そんな子ども時代を経て、今はワーママライターになった私の自己紹介です。
病気が始まった瞬間
我が家は、父、母、妹、父方の祖父母という6人家族でしたが、いつも父の不機嫌のスイッチが入らないようみんなビクビクしていました。
5歳年下の妹がダウン症ということもあり、父親も他の家族もストレスや疲れを抱えていたんだと思います。
中学3年生のある夜、寝る前に水を飲みたくて自室から1階に降りると、遅く帰った父親の機嫌が悪かったのか、今までそんなこと一度も言われたことがないのに「パジャマのまま下に降りてくるな、だらしない」と怒鳴られました。
そこからはあまり記憶がないのですが、大声で泣きながら笑ってカセットテープの中身を引っ張り出していたようです。
その瞬間から、パニック障害と鬱との付き合いがはじまりました。
バイトが支えになった理由
母は妹と私を連れて離婚し父親と離れ、どうにか3人で生活をしていましたが私はいつもみぞおちのあたりに物が詰まったような不快感がとれず、何かというとパニックを起こし…という生活。
それでも「働いてお金を得たい」と思う気持ちがなぜか強く、15歳からバイトをし続けます。自分の働くという行動が、お金になって返ってくることは、少し気持ちを落ち着かせたような気がします。
お給料をもらえれば、少なくとも行動が「全て無意味」ではないですもんね。
自分のフィールドの変化
それでも若い頃は鬱症状の自分をうまく保てず、ヤケになって飲んで酔いつぶれたり、ふらふらしたりといろいろ葛藤ゆえの突飛な行動がありましたが、“結婚”をすることで生きる場所が変わったのかもしれません。
結婚生活を経て子どもを出産してからは、初めて“妻であり母”という、意味のある役割が確立され、居場所があることで、生まれて初めて自分のフィールドができたような気持ちになりました。
1箇所にとどまるという意識があまりなかった私ですが、ワンオペ育児の母親ってそこにとどまるしかないんですよね。でも、実家もなく、子育てをするうちに育児の疲れから保育園に子どもを預けることになります。
ライターとして働く理由
実は、私は結婚前の20代の頃、精神障害者保健福祉手帳3級を取得していました。障害者手帳があると、働いてなくても保育園には預けられるんです。子どもと当事者を守るための、素晴らしいシステムだと思います。
でもそれがまた、精神的にきつかった。
「1人で子どもの面倒も見れないのに、保育園に育児を丸投げして家でのうのうとしている」
そんなこと誰も言ってないのに、私は常にそういう気持ちに追い詰められてリラックスできない…
じゃあパートなりなんなり、外で働けばいいんじゃない?
でもきっと外で働けば鬱由来の疲れやすさ、眠さ、緊張からの不眠や、対人関係に悩まされるんじゃない?乳児を抱えて、そういう事を乗り越えられる?
乳児だからきっとすぐに発熱などで、保育園から呼び出される。実家もないのに働きながら、1人でそれらをこなせる?
職場の人とうまくやっていける?無難な世間話、できる?
ぐるぐると考えながら、「どうにか家で働けないか」という結論に至りました。
そこからはライターになるための準備や勉強、テストを受けては落ちクライアントに怒られ落ち込み…と紆余曲折ありましたが、どうにか今は個人事業主としてやっていけています。
でもまだまだ毎日不安や疲れ、時には過呼吸が出たりと、鬱やパニック障害との付き合いは終わりそうにありません。
むしろライターとして働き始めて、締め切りとの戦いから不安が強くなっているかもしれない…。でも、私は自分にも何かできることを形にしたい。
だから私は、働きます。
おわりに
これからはこちらのサイトのコラムを通して、「鬱ゆえのひどい疲れやすさ、不眠、不安、強迫観念、パニック発作、過呼吸」を持ちながら、育児や家事、そして仕事。
さらには、親として、個人事業主として、「大人の世界」でもがいている私の現実や働き方を、同じような症状を持ちながら働くことに不安を感じたり、孤独感を感じている方にも届けられるよう、しっかりと綴っていきたいと思っています。