余はいかにして精神障害者となりしか~第1回

太陽の食の各段階を示す連続写真。完全な太陽から部分的に隠れた太陽、そして再び新月に近い状態になるまでの過程が暗い背景に対して描かれている。

はじめまして、今回からこちらパラちゃんねるで記事を書かせていただけることになったライターの糸ちゃんと申します。

まずは1本目ということで自己紹介を兼ねた文章を綴っていきたいわけですが、いきなり知らないオッサンが「わたしの幼少期は~」とか言い出しても興味が湧かないと思うので、最初に私の障害者としてのスペック(?)について述べます。

はじめに

私は双極性障害Ⅱ型という精神障害があり、障害者手帳2級を所持、障害者年金も受給しています。

病状としては主治医から「割と重症」とお墨付きをもらっており、何度も自殺未遂を繰り返したり、人生で2回閉鎖病棟に入れられ(ぶちこまれ)たりしてきました。

私の病気を簡単にいうと、昔の呼び名だと躁鬱病にあたるものです。ずーっと落ち込んで一言もしゃべらないと思ってたら、急にテンションが上がってはしゃぎ始めるちょっと危ない人、みたいな。

これにはⅠ型とⅡ型があって、違いは躁状態エピソードの重さを表しています。ちなみにⅠ型の方が重いです。なので、私の場合は軽い躁状態が基本的な鬱状態の合間にはさまる病気、くらいに理解してもらえれば十分だと思います。

さて、少しは私という人間に興味を持っていただけたでしょうか?

それでは、ここからは私の病歴・成育歴を振り返りながら、「余はいかにして精神障害者となりしか」(パロディです。分からなかったら調べてね)について語っていきたいと思います。

両親の不和と家庭内の緊張感

木製の床に座っている笑顔の羊のぬいぐるみ。背景は薄い青色の壁。

私は銀行員の父と平凡な専業主婦の母の間に産まれました。

なにせ親が銀行員なため家はそこそこ裕福で、暮らしとしてはやや上よりの中流階級といったところでしょうか。生まれてから大学を卒業するまで、経済的に苦労した記憶は皆無です。

先ほど「平凡な専業主婦」と書きましたが、いきなり嘘をつきましたごめんなさい。

母はパニック障害を患っており、それとは別に浮気性というのか多淫症というのかわかりませんが、とにかく男あさりが大好きな人でした。家には常に父以外の男の陰があり、うっすらとですが幼児の頃知らないオッサンと母が裸でベッドに寝ていたのを憶えています。

彼女は感情の起伏も非常に激しく、さっきまでニコニコしていたかと思ったら急に激怒して皿を投げまわしたりします。私なんかベランダから落とされそうになりました。当然、夫婦生活がうまくいくはずもなく、家庭内にはいつも緊張感と両親の不和が通奏低音のように響いておりました。

それで私自身はというと、そういう背景が関係したのかは定かでないですがたいそう自閉的な子どもで、通っていた保育園では一言も声を発さず、保母の先生方から「お願いだから何かしゃべって」と懇願されていたそうです(先生方、すみませんでした)。

ですが私は今は見る影もありませんが容姿にやたらと恵まれていたらしく、とにかく可愛い可愛いと言われ、果てはジャニーズだと褒めそやされ、同じ園児の女の子に靴を履かせていた写真が残っているほどです。

まあそんなわけでどう考えても発達に問題を抱えながらも、小学校入学まではわりと楽しくやっていたように思います。そう、それまでは……。

明るくなる努力の結果とその代償

前方に黒板と教師の机があり、生徒用の机と椅子が整然と並んでいる空の教室。左上に時計が掛かっている。

ではではお待ちかね、ここから地獄の少年時代が始まるわけですが、小学生になってからも相変わらず超自閉的、ややもすれば緘黙(かんもく)的な生活をエンジョイしていた私は、2年生の時に女性教師からこんなことを言われてしまいました。

「糸クン、もっと明るくならなきゃだめだよ。そんなことでこれからどうするの?」

 それを聴いた私は衝撃を受けました。

――そうか、僕はこのままでいてはいけないんだ。先生の言うようにもっと明るく、楽しい人間にならなくては……。

そこまでは良かったのですが、何を勘違いしたのか私は「明るくなる」ということをピエロのように道化を演じて周囲から嗤われることだと解釈していまい、それから「明るくなる」ための不断の努力を開始いたしました。

結果、確かに一見クラスに一人はいるお調子者、みんなを笑わせる人気者的な立ち位置を確保したのですが、それは単にいじられてバカにされているだけであって、やがてそれは立派なイジメへと発展していきました。

凄絶ないじめの記憶

青空の下に立つ学校の建物。白い雲が広がる晴れた空が背景にあり、建物の窓が整然と並んでいる。

例えば、廊下を歩いていたら急に飛び蹴りされます。下校途中、ずっと唾を吐きかけられながら家路を歩きます。給食に異物を入れられます。登校したら自分の机がひっくり返されていて、中身が全部飛び出しています。後ろの席の男子から授業中、ひたすらコンパスで突き刺されます。上履きを窓から投げられ、それが何故か職員室の先生方のごみ箱で見つかります……。

 と全部書いていたらキリがないのでこのくらいにしておきますが、まあ思い返してみるとそこそこ凄絶な迫害を受けていたわけです。

忘れられないのは、そうしたイジメを楽しんでいた連中の一人が発した言葉です。

ある時、イジメに参加はしないが助けもしないよくある傍観者のクラスメイトが、さすがにお前らやりすぎではないかと懸念を表明したところ、彼はこう言いました。

「コイツ(私のこと)はいいんだよ」

それを聴いて私は、――ああ、俺は人間ではないんだな。他の人たちが当たり前に持っている尊厳を、何一つ持ち合わせていないのだな――そんなことを考えました。

……おっと、筆が乗って思わず書きすぎてしまいました。こちらのサイトでは字数制限もあるようなので、今回はここまでにしておきます。

次回はイジメを受けていた時期の家庭の話、私の内面のこと。あとは華々しい最初の精神科閉鎖病棟デビューのことなんかを書けたらと考えています。乞うご期待!

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ABOUT ME
1994年生まれ。いじめや家庭内不和で精神障害(双極性障害Ⅱ型)を発症しながらも、福祉系の大学で4年間福祉について学び精神保健福祉士を取得。現在は大分県別府市にある訪問介護事業所で事務・広報の仕事をしている。 ライターとしての心がけは「しんどいことを楽しく伝える」こと。自身の体験を専門職と当事者両方の視点で語っていきたい。