ADHDの私が「本音と建前」について学んだこと

手紙を書く手の写真。木目調のテーブルと封筒が写っている。

発達障害の人はよく「相手の社交辞令を真に受けてしまう」や「言葉通りに受け取ってしまう」と言われています。無自覚に相手を傷つける言い方をしてしまったりする場合もあります。今回は、ADHDの私が本音と建前について学んだ話です。

はじめに

発達障害の人はよく「相手の社交辞令を真に受けてしまう」や「言葉通りに受け取ってしまう」と言われています。無自覚に相手を傷つける言い方をしてしまったりする場合もあります。

おそらくこれは「本音と建前をうまく使い分けられない」ということだと思います。私も他の人のメッセージをうまく受け取れずに混乱したり、自分の伝え方のせいで関係性がギクシャクしたりすることがありました。

今回は、ADHDの私が本音と建前について学んだ話です。

本音と建前がわからない

学生時代から本音と建前がわからず、色々な場面で他の人達の会話を聞いては「不思議だなぁ…」と感じていました。

基本的に私にとって「外に出てくる言葉=本心」だったので、理解できない場面がたくさんあったのです。そのうちの一つが陰口でした。その人がいない場面で陰口を言いながら、会ったら仲よさそうに振る舞う人はどちらが本心がわからず混乱しました。

嫌なら離れればいいのに、どうしてわざわざ会った時に仲良さそうに話すんだろう。もし、相手のことを好きなら、どうして裏で相手のことを悪く言うんだろう。

高校生の頃に、「表と裏で言っている内容がちがう人はどっちを信じていいのかわからない、私もその場から離れた瞬間に悪口を言われているかもしれないと怖くなってしまう」という理由で友人から距離を置いたこともあります。

しかも、その理由をバカ正直に本人に言いました。その子は「しおりのことは悪く言っていないよ、でも、仕方ないね」と悲しそうにしていました。

今思い返すと、本当に申し訳ないです。わざわざ言わなくていいのに…。これまで自覚がないまま色々な人を傷つけてきたんだろうなぁと思います。

それでも、周囲に恵まれたおかげもあり、不器用でも周りがフォローしてくれたり、許してくれたりしてそのまま過ごしていました。

学生の制服を着た二人の脚の写真。

社会人になって

私がこの性質で困るようになったのは、社会人になってからです。仕事では苦手な人とも協力したり、嫌なことがあっても顔に出さなかったり、言いにくいことをオブラートにつつんで伝えたりする必要もあります。

少しずつ経験を積むにつれて「ストレートな言い方をしないほうがいいな」と感じることが多くなりましたが、私にできることは「まっすぐ伝える」か「ぐっと我慢して黙る」の二つだけでした。

それ以外の方法を身に着けることがなかった私は、段々黙ってやり過ごすことが増えてきました。

ただ、「黙ってやり過ごす」の方法も通用しない場面が増えてきました。黙っていると相手に伝わらないので、自分の不満がたまっていきます。我慢してばかりいると体調を崩すようになってしまいました。

カウンセラーの先生に相談

どうも人間関係がうまくいかないけれど、これ以上我慢することもできない。そんなときに、カウンセラーの先生に相談をしました。そこで、印象的な話を聞きました。

「あなたは、これまでたくさんの怒りを自分の中に閉じ込めてきたのね。でも、この怒りを誰かにそのままぶつけても、相手は受け取れないわ。」

「え。でも、どうしたらいいんですか?」

「大きな怒りを一人に全部渡すのではなく、小さいサイズを切り取るの。それを箱の中につめて、きれいな包装紙でラッピングするの。それなら、相手も受け取りやすくなるんじゃない?」

カウンセラーの先生は、小さな四角い箱をジェスチャーで表しながら教えてくれました。

この話を聞いたときは、あまりピンと来ませんでした。「自分は我慢が足りなくてダメだな」と落ち込んでいた私にとって、我慢ではなく伝え方を変えるというアドバイスは意外でした。

その日はよくわからないまま、感情をていねいに箱に詰めてラッピングする先生のジェスチャーとイメージだけが記憶に残りました。

赤いリボンで包まれたギフトボックスを手渡す様子の写真。

「本音と建前」について学んだこと

怒りをラッピングする話を聞いて数年が経った頃、「こういうことだったのか」と思うようになりました。おそらく、ラッピングした方がいいのは怒りに限らない話です。

感情も本心もむき出しのままだと自分と相手を傷つけることが多くなってしまいます。ほとんどの場面ではそこまで厳密に「本当か」にこだわる必要はないですし、みんなそこまで気にしていません。曖昧なままでいいこともある、と思うようになりました。

と言っても、そんな大した話ではありません。これまでなら予定がないときに誘われて「行きたくないな…」と気が進まなくてもうまく断れずに困っていたところ、「予定を確認してみます」と一旦その場から離れて、「すみません、ちょっと忙しくて…。また今度。」と言えるようになったというくらいです。

昔なら「相手に嘘をついたら申し訳ないな」という罪悪感が出てきてしまい、できなかったと思います。それを自分と相手への誠実さだと思っていました。

社交辞令やお世辞、本音と建前の建前と言うとあまり印象がよくありませんが、そこにあるのは気配りや思いやりなのだと思います。

私の考え方が少しずつ変わっていったのは、カウンセラーの先生をはじめとした色々な人が言葉で説明してくれたからです。言葉通りに受け取ってしまう私は、察して学ぶことはできませんでしたが、たくさんの人から「相手の視点に立ってみて」ということについて根気強く教えてもらいました。

私が見えていないものを、私にもわかるような言葉に置き換えて話してくれる人がいてくれたおかげで、少しずつ「こういうことだったのか」と腑に落ちてきました。

今は自分の本音や感情は丁寧な言葉や、笑顔でふんわりとくるんだ方がいいと思っています。ラッピングは自分と相手の両方を守ってくれます。コミュニケーションを円滑に進めるための潤滑油のような役割も果たしてくれます。

きっと、本音と建前はうまく使い分けられるようになった方が自分が生きやすくなるし、周囲との関係性もよくなると思うのです。

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ABOUT ME
森本 しおり
1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。 就職後1年でパニック障害を発症し、退職。27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。プラスハンディキャップなど各種メディアへ寄稿中。