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余はいかにして精神障害者となりしか~第5回(最終回)

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2024.1.31

どうも、昨夜大好きな姪っ子たちと長時間ビデオ通話をしてご満悦な糸ちゃんです(5歳の上の子はディズニーにハマっているらしいよ)。

さて、あまりにも長くなってしまった自己紹介、というか私の成育歴の話もいよいよ最終回を迎えました。細かいことは今後のコラムでちょこちょこ書いていくつもりなので、今回はコンコルド(超音速旅客機)も裸足で逃げ出すくらいの駆け足でやっていきます。

余はいかにして精神障害者となりしか~第1回
余はいかにして精神障害者となりしか~第2回
余はいかにして精神障害者となりしか~第3回
余はいかにして精神障害者となりしか~第4回

執筆:糸ちゃん

前回の続き、大学を出て広島県の精神科にPSWとして就職した私は、それはもう意気揚々としておりました。4年間で学んだことをフルで発揮し、患者さんたちのために尽くそうと張り切っていたんですね。

しかし、働き始めて1~2か月経った頃でしょうか。あることに気づきました。

「あれ、この職場、やる仕事がなくね?」

そうなのです。私の就職した病院では1週間に多くて2回くらいある入院(退院はほぼない)の手続きをして書類をまとめる以外、およそ上から降ってくる定型的な業務というものが存在しませんでした。なので自分で仕事を探して自分の裁量で進めなければなりません。

これは決して私が先輩方からイジメられていたとかではなく、むしろその方たちも業務時間の半分くらいは雑談に興じていたのを思い返すに、本当にやることがなかったのだと思います。あとは「新人はのんびり仕事に慣れればいい」的な優しさがあったのかもしれません。 

それをラッキーと思ってサボるくらいの器量があればよかったのですが、私は根がクソ真面目なのでその状況が耐え難い苦痛をもたらしました。まるで仕事を探して院内をさまようゾンビです。

あのね、社内ニートってほんまに辛いのよ。まあ後に直属の上司である先輩から「新人の働きぶりとは思えない」と言われたので、それなりに評価はされていたのでしょうが……。

やがて食事がとれなくなり、夜も眠れなくなり、ついにずっと避け続けてきた精神科の門戸をたたきます。そこで告げられた病名は「気分変調性障害」でした。

結局そのまま数か月休職して退職願を出し、また高校時代に逆戻りの暗黒のニート時代が始まります。その間も律義に通院は続けていて、ほぼ全部飲んだんじゃないかってくらい大量の薬を試しました。それで激太りし、それまでの人生で一度も標準を突破したことがなかったBMIは「肥満度1」となり、ブヨブヨのお肉のかたまりになったりして余計に鬱が悪化します。

そんな風に家に閉じこもりながら異様な体型へと変貌を遂げる私を見かねて、父が知り合いのPSWが所長をしている就労移行支援事業所を勧めてくれました。これは簡単に言うと、2年以内に通所している障害者を何らかの形で就職に結びつけるための事業所です。ここには1年半くらい通いました。

通い出してから体調も少しずつよくなり、このまま就職できるのでは? と自身も周囲も感じ始めたところ、ある事件が起きました。それは、薬でデブになってしまったと嘆く私に、その事業所で勤めるPSWが放った一言です。

「薬やめれば痩せますよ」

まあ今思えば冗談というか、お互い国家資格持ちだから「本当にそんなことするはずないよね?」(これは後にそのPSWに言われました)という合意あっての軽口だったでしょうが、当時の私は真に受けました。そして、飲んでいた一番太る薬、つまり躁状態を抑える精神安定剤を毎晩捨てるようになったのです。

結果、教科書通り見事に躁転し、ハイになってわけわからん高額な買い物をしたり、毎日朝の5時までニートの友達と喋りながらゲームをする生活が続きました。

そんな状態で就活などできるはずもなく、例のPSWから精神科への入院を小時間かけて説得(という名の強制)され、10年ぶりに閉鎖病棟にカムバックを果たしたのです。長くなるので入院生活の話は省きますが(現在の病名はここで確定します)、色々あって通っていた就労移行支援事業所を辞めることになりました。

退院してからは自分で就活をしたのですが、職歴ほぼゼロの精神障害者など相手にされるはずもなく、正になしのつぶて、取り付く島もなしの世間の厳しさに直面し助けてママンといった窮状に陥り、困り果ててハローワークの障害者窓口に行きました。

そこでこれまたPSWから「A型事業所で働けばいいんじゃない?」と言われ、それもそうかと自宅の近所にあったやたらとデカい社会福祉法人のA型の利用者になりました。

それから3年働いたわけですが、ハッキリ言って特筆すべきことが何もありません。虚無です。ただ毎日出勤して商品を補充し、ロボットのように同じ言葉を繰り返しながらレジ打ちをする日々。最後の方はもう少し色んな業務を任せてもらえましたが、簡単すぎて一瞬で飽きてしまいます。この時の私の状態は、当時流行っていたドラマになぞらえると「ただ死んでないだけ」とでも言いましょうか。

そんな鬱屈とした日々に限界を感じ、何も考えずにある日突然辞めてしまいました。先のことなど何のアテもありません。障害年金をもらいながら貯金が尽きるまでダラダラと好き勝手生きて、金がなくなったら自殺すればいいくらいに思ってました。

そうして数か月過ごしていると突然、先述した就労移行支援事業所の所長から電話があり、「あなたにピッタリの職場があるんだけど、どう?」と言われました。自転車をこいでいる途中でかかってきて、面倒なので迷った挙句仕方なく出たのを憶えています。

それまで散々福祉の人たちの適当な思いつきに振り回されてきた身として、「ハイハイいつものアレね」とは感じましたが、いかんせんやることがないので暇つぶしに見学に行ってみることにしました。

そして当日、アパートの1室にある訪問介護事業所の事務所で専務と社長にお会いしたのですが、お2人ともとても思慮深く優しそうな方たちだったので、「あれなんかいつもと違う」(本当に就職できるんじゃ?)と驚きました。

そこからはトントン拍子に話が進み、今はその会社の事務・広報として色んな仕事を任せていただいています。眠っていた自分の能力を活かし、それが他の皆さんにも喜んでもらえて充実した毎日です。

というわけで長くなりましたが、これで私の自己紹介を兼ねたコラムは終わりです。一連の記事を通して皆さんに伝えたかったのは、私のようにカスみたいな人生を送ってきたとしても、たとえ自殺したいという気持ちが消えて無くならなくても、また精神障害があっても生きてれば意外となんとかなるということです。

これを読んでくださったあなたは、何らかの障害があってそれでも働きたいと思っているのでしょうか? 

それなら、別に焦らなくてもいいと思います。私の好きな言葉に「真剣にやる必要はあるが、深刻になる必要はない」というものがあります。なので、とりあえず生きていればいい、働いて誰かの役に立てればなお良いくらいの気持ちでのんびり取り組んでください。

私のように、「探すのをやめた時にそれは見つかる」(マーフィーの法則)ということも、往々にしてあるのですから。

それでは長らくお付き合いいただきありがとうございました。

1994年生まれ。いじめや家庭内不和で精神障害(双極性障害Ⅱ型)を発症しながらも、福祉系の大学で4年間福祉について学び精神保健福祉士を取得。現在は大分県別府市にある訪問介護事業所で事務・広報の仕事をしている。
ライターとしての心がけは「しんどいことを楽しく伝える」こと。自身の体験を専門職と当事者両方の視点で語っていきたい。

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