「指定校推薦」をもらうのが困難
~体育の内申が上げられないという悩みに直面して
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2022.9.28
学生時代、私は過敏性腸症候群によって、テストで本来の力が出せなくなるため、指定校推薦を活用して大学に行こうと思っていた。
だが、その時に立ちはだかったのが、体育の内申点を上げれないという課題だった。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
「過敏性腸症候群」に悩まされてテストに集中できず
中学2年生の頃からテストの時に、過敏性腸症候群の症状が現れるようになった。もともと私は、人が集まっているのに静かな空間が苦手。お腹が鳴ったら恥ずかしいと悩んだり、よく腹痛に苦しめられたりしていた。
それが、いつしか悪化。授業中も辛かったが、特にテスト中は教師も声を発することがないため、自分から出る音に過敏になり、過敏性腸症候群に。ガスが溜まり、おならのようなお腹が鳴っているような音が出るようになってしまい、テスト中には心臓がバクバク。まったく集中できず、本来の力が出せなくなった。
このままでは受験に支障がでる。そう思い、高校は1段階レベルを落とし、確実に受かる学校に入学。だが、高校に入っても過敏性腸症候群は治まるどころか、年々ひどくなり、やがて精神安定剤に頼るように。
テスト時の別室受験も考えたが、友達に理由を詮索されるのが嫌で断念。精神安定剤を飲んで緊張感を緩和させるも、ドキドキはあまり収まらず。そのため、なるべく薬の効果を強く感じられるうちに早々と回答を終え、薬の副作用に頼って終了時間まで眠り、静かな時間に耐えるのが、私にとって「普通のテスト」になっていった
体育の内申点が指定校推薦の足を引っ張った
そんな状態だったから、高校受験よりも会場の規模が大きく、多くの人が集まる大学受験に挑むことは厳しく思えた。
だが、心理学を学びたいという気持ちは消えず、行きたい大学もあったため、内申点が重視され、面接だけで入学ができる指定校推薦を活用しようと考えた。
ところが、壁となったのが体育の内申点。当時、私は日常生活を普通に送れていたが、体育は主治医から禁止されており、見学していた。そのため、内申点はいつも決まって1か2。体育の内申点が悪いせいで、合計値も下がった。
心と体、両方の病のせいで大学の選択肢は自ずと狭くなった。もし、心身のどちらか一方でも健康であれば、未来は変わったのかもしれない。大学入学に悩んだ頃から十数年経った今でも、そう悔やむことがある。
「当たり前にできる」と思われ、入学の判断材料としてされていることが当たり前にできない人は、どうやって未来の可能性を広げていけばいいのだろうか。
できない科目の中で「できること」を当事者と一緒に探してほしい
そのひとつの方法として、私は内申点の付け方を見直すことが大切だと思う。例えば、持って生まれた病気や特性によって上手くできない科目があったとしたならば、「できない」という理由で短絡的に1や2をつけるのではなく、本人と話し合いながら、「ちょっと頑張ればできそうなこと」を課題にし、それをクリアすれば4や5という内申点を与えるという回避策があってもいいのではないかと思うのだ。
障害に理解がある教師の中には「できないから仕方ない」と5を与えたくなる人もいるかもしれないが、そうした優しい差別も本人にとっては他の生徒の目が気になったり、「自分だけ特別扱いだ…」と悩んだりする理由になる可能性があるため、本人が腑に落ちる対策を取りながら内申点の付け方が見直されていってほしい。
また、多感な思春期は私のように自分から出る音が気になり、静かな場面で過敏性腸症候群に悩まされる子も少なくないからこそ、別室受験やオンライン受験がしやすいよう、教育の場が変わっていけばいいなと思う。
このコロナ禍によって、オンラインという形の教育もありなのだと気づいた人はきっと多い。だからこそ、そうした発見を子どもたちが未来の可能性を広げやすいように役立ててほしい。
持病や持って生まれた特性、後天的に悩まされることになった病気があっても憧れる志望校や夢を諦めなくてもいい社会であってほしい。