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生きづらさの原因がようやく判明…まさか私が「複雑性PTSD」だなんて

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2024.1.15

複雑性PTSDは、2018年に診断名が導入されたばかりの精神障害。そのため、自身がこの病気であることに気づけていない当事者は多いと思う。私も、そのひとりだった。19歳の頃、社会不安障害と診断されたが完治せず、ずっと、しこりのような生きづらさを抱えてきたのだ。

執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa

独裁的な父親に虐げられた記憶から結婚生活がうまくいかず…

もともと、慢性的な不眠に悩んでいた私はパートナーと暮らすようになってから、余計に眠りに対する悩みを抱えるようになった。階段を登って寝室に来る彼の足音にドキドキしたり、自分と同じ時間に彼が寝てくれないと不安になって感情をコントロールすることが難しくなったりしたのだ。

私の実家では、いつ怒りのスイッチが入るか分からない父親の機嫌を読みながら行動するのが当たり前だった。気分を害さないよう、家族は父親の生活リズムに合わせて行動をしていた。それが異常だとは気づいていたが、ひとりだけ輪を乱すことは怖くてできなかった。

そうした家庭で育ったからか、パートナーが自分と違う行動をとると、すごく不安になった。けれど、誰かに束縛される苦しさや生活リズムを押し付けられる辛さはよく知っていたから、「自由にしてくれて構いませんよ」というスタイルを無理やり貫いてきた。パートナーの行動を制限したり、自分自身がパートナーに依存したりするのは、自分の弱さを解決する根本的な方法にはならないと思ったからだ。

だが、そうした日々を続けているうちに、心が悲鳴をあげた。夜、パートナーが寝室に来るまで眠れなくなった。そうなると、心の舵はもう取れず、リビングへ行き、過呼吸になるまで泣き、泣きつかれないと眠れなくなった。泣いている時には家の前にある車道が目に入り、「あそこに飛び出て死にたい」と願った。

眠れない状態が続くと無性に寂しくなって、その寂しさが最上限まで高まると死にたくなる。「眠れない→寂しい→死にたい」という脈絡のない思考回路が、なぜできてしまうのか不思議で辛かった。

こんな不安定な心では、自分もパートナーも疲れてしまう。そう思い、気がまぎれるよう、楽しいと思えることに時間を割いたり、やりたいことリストを書いてワクワク感を補給したりと努力はした。

だが、やりたいことを思い浮かべた時、真っ先に頭に浮かんだのが「カウンセリングに行きたい」という願いだったため、もう限界なのだと悟った。

私は高校生の頃に過敏性腸症候群に悩まされて、心療内科にかかっていたことがある。そして、19歳の頃に精神的に不安定になり、カウンセリングに通ったことがあった。

その時は自分が抱えてきた生きづらさに「社会不安障害」や「うつ病」という病名がついた。薬を飲み、治療をしたが、私は完治したと言える状態にはなれず、なんとなく心にしこりが残っている感覚があるまま、生きてきた。

20代の頃、再び心が限界になり、精神科へ行ったが、医師から人格を否定される言葉をかけられたことで、カウンセラーは味方にはなってくれないと思うようになった。だから、それ以降は苦しさを感じても、誰にも頼らず、頼れもしない暮らしを続けてきた。

だから、もう一度カウンセリングに行くのは、自分の中でとても勇気がいることだった。また傷つけられたら、どうしよう。やっぱり心のプロにも頼れないと再確認するだけだったら苦しすぎる。そう思ったからこそ、自分が信頼できそうなメンタルクリニックを探し、最後の賭けに出ることにした。

頭に浮かんだのは、私が通っていた大学の教授の顔。私は、とある教授に憧れ、大学で心理学科を専攻していた。その教授が開院しているメンタルクリニックなら信頼できるかもしれないと思ったのだ。

不眠を機に「複雑性PTSD」であることが判明

勇気を出してクリニックに足を運んだ日は、とても緊張した。問診票に記した「不眠で眠れなさすぎると、死にたくなる」という自分の現状を公認心理師に読まれた時、なぜか涙が出た。自分で分かっていることなのに、人から客観的に伝えられると、こらえていた苦しみが溢れだして止まらなくなったのだ。

その日は自分の生い立ちや家族関係なども伝え、心理検査も受けた。その結果、告げられたのが、重度の複雑性PTSDであるという事実だった。

帰宅し、複雑性PTSDに関する情報を調べた際、診断名が導入されたのが割と最近であることを知り、ふと思った。もしかしたら、10代の頃から私が苦しかったのは、この病気が原因だったのではないか、と。診断名がなかったから仕方がないとは言えど、誤診されていたとしたら、自分の生きづらさが改善されなかったことにも納得がいく。

実際、複雑性PTSDは診断に高度な専門性が必要で、他疾患と誤診されることがあるという。きっと私以外にも、自分が複雑性PTSDであることに気づかないまま、苦しみと闘っている当事者はいるだろうし、他の疾患であると誤診されて適切とは言いがたい治療を続けている人もいるのではないだろうか。

だからこそ、そうした人にとって、私の体験がより心が楽になる治療を求めるきっかけのひとつになれば嬉しい。

複雑性PTSDという病名が広く知られるということは、長年悩まされている生きづらさの原因を知れる人が増えることにも繋がっていくはず。自分の悲鳴に蓋をしながら頑張り続けている人にこそ、この病名を知ってほしいと思う。

猫の下僕のフリーライター。愛玩動物飼養管理士などの資格を活かしながら大手出版社が運営するウェブメディアにて猫に関する記事を執筆。共著作は『バズにゃん』。書籍レビューや生きづらさに関する記事も執筆しており、自身も生きづらさを感じてきたからこそ、知人と「合同会社Break Room」を設立。生きづらさを抱える人の支援を行っている。

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