障害者「らしさ」についての考察

2匹の犬の3Dイラスト

私は精神障害(双極性障害)があることを他人に打ち明けると、ほとんどの場合ビックリされます。

「え、全然普通なのになんで……(ドン引き)」といった具合に。

今回は障害者にとっての「らしさ」とはなんなのかについて考えてみたいと思います。

どうも、飼っているウサギが嫌がらせのようにトイレの周辺(絨毯)で排泄することに困っている糸ちゃんです。サークルを広げる前は完璧に出来ていたのになぜ……。

さて、今回は障害者にとっての「らしさ」とはなんなのかについて考えてみたいと思います。

第三者の障害に対する反応

まず自分の話ですが、私は精神障害(双極性障害)があることを他人に打ち明けると、ほとんどの場合ビックリされます。「え、全然普通なのになんで……(ドン引き)」といった具合に。

あと精神障害のある人と一緒に何度か映画館に行ったのですが、割引チケットを係員に渡す時、同行者はスルーされるのに私だけ手帳の提示を求められるといったこともありました。ちなみに1人で行くと絶対に提示させられます。

両親は障害の話にネガティブ

また、親と話している時に障害の話を持ち出そうものなら途端に不機嫌になります。両親の反応は決まって以下のようなものです。

母親:「お前はみんなに騙されているんだ! 障害者手帳なんかさっさと返却して普通に就職しろ!」

父親:「そうなった原因はなんなんだ? それを突き止めて解決すればいいだけだろ?」

とまあ、無理解・無知ここに極まれりといった言葉の刃を浴びせかけられるわけですが、そこまで言われると自分はもしかして本当は障害者じゃないのでは? と当事者としての自負心を見失いかけることが多々あります。

あと私の自己紹介コラムを読んでくれた優しい読者は「お前らのせいやんけ!」と思ってくださるかもしれませんが、実際にそれを一度恐ろしくマイルドな表現に換えて母親に言ったら「そんな、ひどい……」と天使のようにハラハラと涙を流しておりました。なんやコイツ。

彫刻の天使が顎に手を当てているイメージ

しかし、現実として私は精神障害者保健福祉手帳2級所持、障害基礎年金2級受給、そして毎月精神科を受診して虹色のお薬たち(5種類以上)をもらいキチンと服用しなければ頭イカれて即閉鎖病棟行きという、これ以上何を提示すれば精神障害者と認めてもらえるのかと戦慄すら覚えるほどのれっきとした精神障害者であります。それでも障害者「らしさ」がないと日々言われるのです。

障害者「らしさ」とは

ここで浮かび上がってくるのは、その「らしさ」とはどこから生まれてくるのかという問題です。極端な話、どこかの自動車メーカーの社員が重度障害者を揶揄する物真似をして炎上したように、だらしなく口を開いてよだれを垂らしながらウーウー言い、千鳥足でフラフラ路上を歩けば、まあ間違いなく「らしい」でしょう。ただこれはどちらかというと身体障害者・精神障害者の負のイメージを統合して悪意をもって先鋭化させたカリカチュアに過ぎません。

身体障害者・精神障害者の負のイメージを統合して悪意をもって先鋭化させたカリカチュア

身体障害者の話が出たので述べますが、よく言われるのは精神障害者との違いについて「見ればわかる」というものがあります。車いすに乗っている人に「本当は歩けるんだろ?」というバカはいませんし、白杖をつきながら点字ブロックを歩行している全盲の方に「ヘッ、実は見えてるくせにサ」なんて罵声を浴びせたら、今の時代それこそ大炎上します。

もちろん、見ればわかってもらえるから身体障害者はいいよな、なんて浅薄で下衆な主張をしたいわけではなく、彼ら・彼女らが毎日感じている辛さや困難は肉体的には至って健常な私には一生わからないでしょう。それを理解できるというのは欺瞞に他なりません。

ただ一方で多くの精神障害者が直面しているこの「らしさ」の問題は深刻です。私なんかも夜間何種類もの薬を飲んでしかも睡眠障害もあるので、夜の7~8時には就寝(寝付くのに2時間かかるため)するというおじいちゃんみたいな生活をし、何とかして日々の仕事に勤しむことができているのです。

また、パニック発作がしばしば起こるので頓服の抗不安薬も必携しています。そうした不断・普段の努力(うまいですね)を無視し、日中の元気な私の姿だけを見て、「お前は障害者なんかじゃない!」と言われた日には辛くなります。というか死にたくなります。

青と白の錠剤がいくつもならたくさんあるイメージ

では一目見てそれとわかる精神障害者になりたいのかと問われると、それも大いに葛藤があります。確かに精神科領域には「らしさ」を完全に体現している患者さんたちもいて、その方々はむしろ私のような存在を羨ましいと思っているかもしれないですから。つまりこれは車の両輪であり、どちらにしろ生きづらさが生じるわけです。

まとめ

と、ここまで長々と連ねてきましたが、要するに「らしさ」があることは障害者本人にとって良いか悪いか結論づけることは不可能です。先述したようにそれぞれメリット・デメリットがあり、また更に敷衍(ふえん)すれば自身の障害受容という極めてセンシティブな問題も新たに浮上します。そこをうまく乗り越えらないと心が複雑怪奇にねじれてしまい、最終的には中途半端な当事者意識を持ったモンスター障害者になってしまうのです。

なんにせよ、私は今日も「らしくない」障害者としてこの社会で生きていきます。いつの日か「らしい」障害者になるのかと不安を抱きながら……。

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ABOUT ME
1994年生まれ。いじめや家庭内不和で精神障害(双極性障害Ⅱ型)を発症しながらも、福祉系の大学で4年間福祉について学び精神保健福祉士を取得。現在は大分県別府市にある訪問介護事業所で事務・広報の仕事をしている。 ライターとしての心がけは「しんどいことを楽しく伝える」こと。自身の体験を専門職と当事者両方の視点で語っていきたい。