髪を抜かなくてもいい私になるための「抜毛治療法」
自分を律するよりも慈しむ対策法を…
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2023.8.18
髪を抜きたいという欲求に抗うことが難しい「抜毛症」に、20年以上苦しむ中で私は様々な治療法を試してきた。その結果、一番効果があると感じたのは自分を律するのではなく、労わる治療法だった。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
私の抜毛症には効かなかった精神安定剤での治療
自分の髪を抜くことを繰り返してしまう「抜毛症」には、いくつかの治療法があると言われている。まずひとつが、精神安定剤などを服用する投薬治療だ。
19歳でうつ病を患った私は同時期、抜毛症の症状が酷かった。そこで、双方の治療のため、精神安定剤を飲むことになったのだが、私の場合はあまり効果がなく、ストレスを感じたり、不安なことが頭をよぎったりすると、自然と手は髪へ伸びていた。
うつで気分が落ち込むことが多かったからか、この時期は夜中に3時間ほど髪を抜き続ける日もあった。ハゲてしまうのは嫌なのに、髪を抜くという行為がやめられない自分は意志が弱い人間なのだと、何度も自己嫌悪に陥ったのを覚えている。
うつ病がよくなった後も、抜毛症の症状は変わらず。そこで、次に試したのが、髪を抜きたいと思った時、別の行動をとることで抜毛の衝動を抑える認知行動療法だ。手が髪に伸びそうになったら手首につけたヘアゴムをはじく、手をギュっと握るなどネットで効果的だと言われている置き換え法をたくさん試した。
だが、どの行動も抜毛した時の何とも言えない快感には及ばず。結局、この治療法は失敗。我慢した分、抜毛する本数が多くなってしまい、さらに自己嫌悪した。
もう一生、治らないのではないか。いつしか、私はそう思い、治療を諦め始めた。ハゲたらウィッグを被ればいいやと、抜毛してもいい逃げ道を作り、毎晩、髪を抜き続けるようになった。
ストレスの原因に気づいて自分の扱い方を変えることが治療の第一歩
ところが、結婚を機に実家を出ると変化が。抜毛する頻度が自然と減っていったのだ。私の場合、家庭環境があまりよくなく、家という空間で落ち着けたことがなかったため、どうやら、そのストレスから抜毛していたところがあったようだ。だから、親と離れたことでストレスが減り、抜毛したいという衝動がこみ上げにくくなっていった。
そうした心境に気づいた時、自分の心がいかに傷つき、限界であったのかを初めて知った。そして、理不尽だと思えることに耐えてきた自分を、もっと大切にしてあげてもいいんじゃないかと思った。
思い返せば、私がしていた認知行動療法は自分を律するもの、制限するものばかりだった。冷静に考えれば、すでに、心がいっぱいいっぱいで抜毛というSOSが現れているのに、さらに自分に何かを課しても余計にストレスが溜まり、髪を抜きたい衝動が強まるのはごく自然なことだ。
だから、私は自分を慈しむ方向で抜毛症と付き合っていくことにした。例えば、毎日のお風呂では少しいいシャンプーを使い、「今日も頑張ったね」と自分を労いながら頭を洗う。自宅でのヘアケアにもあえて力を入れ、県外にある腕のいい美容院に行き、心から素敵だと思えるヘアカラーをしてもらってもいる。
こんな風に“自分を満たす向き合い方”をし始めると、抜毛頻度は激減した。完治はしておらず、ストレスを感じる頻度によっても違いはあるが、今では月に1~2回ほどしか抜毛していない。自分を大切にする生活を心がけていると、不思議なことに「髪を抜きたい」という衝動がこみ上げてこないのだ。
自分で自分を大切にすることは、とても難しい。様々な痛みや傷に耐え、自尊心や自己肯定感が削られていると、自分を大切にするって、そもそも何をすればいいのかと戸惑うだろう。
私もそうだった。だから、この行動は自分にとって優しいものかと判断する基準を設けた。好きな女優さんを頭に浮かべ、もし自分が○○さんだったら、私は自分のことをこんな風に扱うだろうかと考えるのだ。
自分を自分だと思うと、肌の触れ方や髪の触り方といった細かなところにまでも卑下がにじみ出てくる。「私だから、このくらいの扱いでいいだろう…」と。だが、自分を他人に置き換えて、自身の行動を見つめ直してみると、いかに自分をぞんざいに扱っているかに気づける。
人は誰かからの評価で、自分の価値を決め、「私は大した存在ではない」と思い込んでしまう。けれど、誰が何と言おうと、あなたという存在にはちゃんと価値がある。自分を丁寧に扱うことは抜毛症を治す一歩だと、私は思うのだ。