抜毛がやめられなくて“いじめ”に発展…
~学校で受けた周囲からの心ない声~
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2023.8.25
髪を抜くという抜毛症は傍から見れば、やはり不思議な病気。周りから、心ない言葉を言われることもある。実際、私は中学生の頃、クラスメイトから心が傷つくからかいを受けた。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
過敏性腸症候群のストレスから授業中にも髪を抜くように…
抜毛症という病名が、これほどまでに知られていなかった20年ほど前、私は中学生だった。
先生の声しか響かない静かな空気の中、お腹が鳴ったら恥ずかしい。そんな思いが強く、自分の体から鳴る音を異常なまでに気に掛けるようになった私は、そのストレスから過敏性腸症候群を発症した。
私の場合は、下痢型とガス型の混在タイプ。特に、登校前や教室の中が静かになるテスト期間は下痢が酷かった。テスト中はガスを我慢するも、漏れた音が教室に大きく響き、何度も恥ずかしい想いをした。クスクスと笑う同級生の声や、その時に向けられた視線は今でも忘れることができない。
過敏性腸症候群に苦しむストレスから、私は自宅だけでなく、授業中にも髪を抜くようになった。当時は抜いた髪の毛根を口に入れるという、抜毛後の“儀式”もやめられなかった。
そうした姿が、クラスメイトの目には不気味に映ったのだろう。ある日、隣の席で同じ班のTくんが班のメンバーに「こいつの机をつるの、嫌なんだよ。なんでか分かる?机の脚に髪が、すげーついてんの。こいつ、授業中に髪の毛めっちゃ抜いてるから」と笑って報告した。
一番知られなくなかった秘密を唐突に暴露され、私は背筋がゾっとした。同じ班のメンバーは「本当に?」と訝しんだ後、「だから、前髪がどっかいっちゃったの?」と、前髪を作っていなかった私を笑った。
抜毛症に対するからかいが「いじめ」に発展
その日から私は班の子たちにとって、“気味の悪いヤツ”という存在になった。班のメンバーの給食を取りに行き、配膳をした時には「こいつの髪の毛が入っているんじゃね?」とTくんが笑い、みんなは「気持ち悪~い」と賛同。私が運んだ料理には、誰も手をつけなくなった。
Tくんは、抜いた髪の毛根を口にしてしまう私の儀式も見ていた。「こいつ、抜いた髪を食べてんだよ。俺、見たもん。むちゃむちゃウマそうに食ってた!」と、Tくんが班のメンバーに言った時、私は死ぬほど恥ずかしかった。自分の行動が奇妙なものに見えていることは分かっていたが、改めて人から気味悪がられると、心にくるものがあった。
当時、抜毛症という言葉を知らなかった私はなぜ、この行動がやめられないのか悩み、苦しんだ。髪を抜かなければ、からかわれることもなくなると分かっているのに、手が自然と髪に伸びる。Tくんの言葉や班のメンバーの態度に傷ついてストレスを感じると、余計に抜毛したくなり、髪を抜く頻度は増えた。
私へのからかいは次第に、いじめと呼べるような言動に変わっていった。中でも、同じ班で友達だったはずのSちゃんの変化が辛かった。Tくんが私の抜毛を暴露してから、私に対するSちゃんの態度は徐々に攻撃的なものになっていったのだ。
歩いている時にズボンを引っ張られて下げられる、前髪がないことをからかう歌を作られて歌われる、班ごとに並んでいる時に後ろから足で蹴られる…など、Sちゃんは私をいじめるようになった。この子は虐めてもいいという認識が、いつの間にか班の中でできてしまったのだ。
やがて、学校へ行こうとすると頭痛がして、登校できなくなった。結局、班変えが行われるまでの1ヶ月ほど、私は学校を休んだ。幸い、班が変わると、TくんのからかいやSちゃんからのいじめはほぼ、なくなった。
だが、抜毛を知られたことからいじめが起きたという事実を受け、私は髪を抜くという行為は絶対、誰にも話してはいけないことなのだと思うように。自分ひとりで、抜毛症という大きな問題を抱えてしまい、苦しむようになっていった。
抜毛しなくてはいられないことを人に言ったら、どう思われるだろう…。そう悩み、問題をひとりで抱えてしまう怖さが、抜毛症という病気にはある。だからこそ、当事者がSOSを言いやすい社会になるよう、まずは発症のきっかけや症状が正しく理解されてほしい。
喉を乾いた時、自然に水分を補給したくなるように、ストレスや不安を感じた時、手がごく自然に髪に伸びてしまう。そんな抗うことが難しい欲求と、抜毛症当事者は闘い続けている。その必死な闘いや抜かずにいられない苦しさを目にした時、どうか優しい無視をしてほしい。