大人になっても通うのは「小児科」への葛藤
~先天性心疾患の私が辛いこと
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2022.8.3
先天性心疾患はもはや子どもの病気ではなく、成人の病気だという声も多く聞かれるようになってきている。
だが、その一方で当事者としては成人になった先天性心疾患者へのサポートがまだ不十分であると感じてしまうことも多い。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
おばあちゃんになっても私が通うのは「小児科」
私が通っている病院では先天性心疾患者は「小児科」に隣接されている「第2小児科」に通院することとなっている。
すぐそばに見えるのに、小児科に通う子たちと自分は身体の構造が違う。その事実が、子どもの頃は辛かった。
そして、大人になると別の苦しみが現れた。大人であるのに小児科に通わなければいけないことに、葛藤を覚えるようになったのだ。
一度、18歳になった頃、ちゃんとひとりの大人として見てもらいたいと思い、主治医に相談したことがある。けれど、私の通っている病院の循環器科は成人の心臓病を専門としているため、先天性心疾患を診ることができないようで、主治医からは「あなたは、おばあちゃんになっても第2小児科だよ」という、私にとっては胸に突き刺さる言葉が返ってきた。
第2小児科では先天性心疾患者の他に新生児の検診も担当しているため、定期健診に行くと、子どもや新生児に囲まれ、いつもひとり浮いてしまう。20代の頃は特にその状況が恥ずかしく思え、周囲の視線が気になって、ただでさえ憂鬱な通院が余計に辛くなった。
「子どもを産めない」から子どもや母子を見るのが苦しい
もうひとつ、私には小児科に通院しなければならないことで感じる苦しみがある。それは、否が応でも仲睦まじい母子の姿が目に入ってくることだ。
私は18歳の頃、主治医から「子どもを持つことは難しい」と告げられた。妊娠という変化に体が耐えられるか不明であり、身ごもっても高確率で流産となってしまうからだそう。
子どもを「持たない」と「持てない」の間には大きな壁がある。私は子どもが大好きというわけではなかったが、初めから身ごもる権利を奪われると、やはり悲しかったし、正直、今も気持ちに折り合いがついていない。いわゆる普通の家族を作ることができない自分を責めることもある。
だから、通院時に新生児を連れた母親を見ると、「自分にもあんな未来があれば…」と思い、苦しくなる。第2小児科には障害児の母親が薬を貰いに訪れることもあるので、受付の人が変わると、「誰のお母さんですか?」と聞かれ、ひとりで勝手に傷つくことも少なくない。
そんな些細なやりとりで痛みを感じるのは、稽留流産手術を受けたことがあるからだ。私はバツイチなのだが、元夫と結婚している時に一度、妊娠を経験したことがある。
コポコポと血の塊のようなものが止まらず、息苦しさも感じたため、かかりつけ病院の救急外来へ行くと流産していることが判明。診察してくれた産婦人科医の「お母さん、お腹の子はもう亡くなっているので手術をしましょう」という言葉を聞いた時、妊娠に気づけなかったことが申し訳なかったし、初めて「お母さん」と呼ばれたのが、お腹の子が亡くなった時であったことが悲しかった。
血の塊だと思っていたのは、我が子の肉片だったのかもしれない。そう気づいた時、罪悪感がこみ上げてきて、産んであげられなかった命に何度もごめんなさいと告げた。それしかできることがないのも歯がゆかった。
そうした経験をしてきたこともあり、第2小児科で母親だと勘違いをされたり、母子の姿を目にしたりすると、失った命への贖罪に耐え切れなくなることがある。
先天性心疾患者の中には私と同じように渋々、小児科に通い続けていたり、体のことを考えて子どもを持たない選択をせざるを得なかったりする人が多くいると思う。だから、そうした人の心が守られ、年齢にあった適切な治療とより出会いやすくもなるよう、循環器科と小児科が連携し、大人でも通いやすい仕組みが作られていってほしい。
体だけではなく、心のケアにも目を向けてくれる病院が増えれば、自分を必要以上に責めず、命が紡がれてよかったと思える当事者も増えるのではないだろうか。