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海外での手術の影響で起こった合併症、余儀なくされた日本での車いす生活

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2023.8.5

僕には、生まれた時から脚の長さに左右差がある「下肢長不等」という障害がありました。前回は、海外で手術後に骨折をして再手術をすることになってから、治療の経過がよくないまま日本に緊急帰国するまでのお話をしました。今回は、帰国後に待ち受けていた困難のお話をしたいと思います。

執筆:しろくま

こんにちは、しろくまです。学業の都合で長期のお休みをいただいておりましたが、今月からゆるりと再開していきますのでよろしくお願いします!

僕には、生まれた時から脚の長さに左右差がある「下肢長不等」という障害がありました。

幼少期にはさほど気にならなかったこの脚の左右差ですが、三十代手前になって急に違和感が大きくなってきました。悩んだ結果、僕は海外で手術を受けることに。

前回は、海外で手術後に骨折をして再手術をすることになってから、治療の経過がよくないまま日本に緊急帰国するまでのお話をしました。

今回は、帰国後に待ち受けていた困難のお話をしたいと思います。

帰国前の準備

僕は海外で手術を受けてからの約10か月間、手術とリハビリを繰り返していましたが、治療は思うように進みませんでした。立つこともままならないので、基本的に車椅子に乗って生活を送っていました。

そんな状態で謎の直感を働かせて治療を中断して帰国すると決めたので、帰国後の生活に向けて急いで準備をする必要がありました。

当時の僕は1Kの賃貸マンションで一人暮らしをしていました。手術前は脚の長さの左右差に悩んでいたとは言え、自力で歩くことができていたので、日本で車椅子生活を送ったことはありません。部屋も家具や荷物が大量にあり、車椅子に適しているとは言えない状態です。

それでも、何とか自分のマンションに帰るため、帰国日に生まれて初めて介護タクシーを予約しました。車椅子がないと移動ができないので、帰国日に届くように新しい車椅子も注文しておきました。

マンションのバリアフリー問題

―帰国後。

一人暮らしをしていたマンションへと戻った僕がまず最初に直面したのは、バリアフリー問題でした。

僕の住んでいた1Kの賃貸物件は、マンション入り口に大きい一段、玄関先に一段、キッチンから個室へ入るときに一段、合計三段の段差がありました。

幸いにも、帰国当日は介護タクシーのスタッフさん二名がとても親身になってくださり、車椅子を持ち上げてくださったので事なきを得ましたが、しばらくの間はこの狭い空間で生活をしなければなりません。

段差については、両親に相談してホームセンターで買ってきてもらった緩いスロープを玄関と個室からキッチンへ上がる場所に設置しましたが、マンションの入口には設置できませんでした。

幸いにも自分が住んでいたマンションは都会にあり、宅配業も盛んだったことや、お湯を沸かす・温める等の簡単な調理も可能だったことから、食事に困ることこそありませんでしたが、マンションの入口の段差を自力で越えることはできないので、一人では外出が困難な状態になってしまいました。

加えて、マンション入り口や部屋に入る時の段差、廊下の狭さ、車いすを置くスペース等、一人では対処しきれない状況を経験することになります。

健常者であった当時は何気なく出来ていたことが、車椅子になった途端に出来なくなったことで、僕の中で小さなストレスが積み重なっていきました。

同居と引っ越し

この先、どうやって生活していくべきか。

賃貸を解約して、実家(古い家なので、段差も多い)に帰ることを余儀なくされていた時、助け船を出してくれたのは友人でした。

「一人暮らしをしようと考えているが、正直不安だ」と相談されたことがキッカケで、次第に二人なら広い賃貸物件を借りられるのではないかとの話になり、とんとん拍子で同居が決まりました。

幸いにも引っ越し先をスムーズに見つけることができ、12月には引っ越しを行って生活がしやすくなったことで、僕は再び診てもらえる病院を探し始めます。

合併症・重度の感染症を自覚

タクシーで30分程の整形外科、精密検査・リハビリ等も幅広く行っていると記載されている病院に、僕は期待を込めて来院しました。

しかし、期待とは裏腹にこの時初めて「重度の感染症(合併症)」になっていることを知らされます。

「設置されている金具が日本のものではなく、特殊だからうちでは撤去手術もできないし、内部感染も相当広がっているから相当難しい。これは只事ではないよ。」

「うちではこの症状に特化した医師の知り合いや病院とのつながりがないので、他の病院を紹介できない。もっと大きな病院を探して、そこで治療してもらうしかない。」

その言葉を聞いた時、僕は頭がボーっとして放心状態でした。

傷の治りが遅いので何だかおかしいなとは感じていたものの、まさかここまで酷いなんて。

当時の僕は何も教えてくれなかった海外の医師に憤りすら感じて、帰宅後にメールを送りました。

しかし、海外の医師にこのことを伝えても「感染なんかしていないから大丈夫」「歩行器でのリハビリを続けてください」の一点張り。平行線のやり取りが延々と続くだけで、全く伝わっている感じがしませんでした。

病院が決まらず、約10ヵ月程途方に暮れる

2020年を迎えると、新型コロナウィルスの影響で本格的な外出制限が政府から出される事になりました。

僕は感染症を診てもらえる病院が見つからないまま、家から出られなくなってしまいました。病院が決まっていない以上、薬も処方してもらえません。傷口から膿は出るわ、皮膚から金具が突き出たまま、市販の痛み止め薬を自腹で購入して飲みながら、痛みに耐えました。

手術の合併症で重度の感染症にかかっていると分かっていながらも、決していいとは言えない衛生状態でした。マスク問題でガーゼが品切れになることもあり、清潔を保ちにくかったり。風呂は一週間に一回入れたらマシな方。その一度の風呂も、防水テープを上から何枚も重ねて、シャワーを浴びるのみでした。

うつ病予備軍になる

友人と一緒に住んでいたことが唯一の救いでしたが、外に出られないことはもちろん、痛みによるストレスでうつ病予備軍になり、ふさぎ込みました。

好きだったおしゃれも段々できなくなっていきました。傷口をガーゼで覆っていても、段々と膿が染みてきて服を汚してしまうことがあったので、外出時はいつも同じ服を着るようになり、髪も伸びたままでした。身だしなみに気を遣う余裕がなくなり、家では常に汚してもいいスウェットを着用していました。

―――このままでは、脚の治療の前に自分が壊れてしまう。

そう感じた僕は、行動に出ます。精神衛生上のため連絡ツールを除いたSNSを全て退会して、感染症や脚のことを考えずに済む時間を作ろうと決めたのです。今の自分でもできる活動を探して、上半身を動かす運動をしたり、読書をしたりすることに没頭しました。(痛みから現実に引き戻されることも多かったですが)。

隣国の病院を見つけ、コンタクトを取る

そんな生活を続けていた2020年の8月某日、いつものように病院を探していると、隣国で骨の再生に特化している病院を見つけました。

ただ、僕はこの時コンタクトを取ることすら非常に悩みました。

「海外で失敗した治療を、別の国とはいえまた海外で治療して本当によくなるのだろうか?」
「日本でも難しいのに、また同じことになるのではないか?」

すっかり怯えてしまい、なかなか勇気を出せなくなっていたのです。

しかし、当時の症状は目に見えて分かる程に日に日に悪化するばかり。炎症による発熱も度々あったので、「一刻も早くマシな状態になりたい」という望みにかけるしかありませんでした。

毎日血眼で探した病院もこの時は日本で見つからず、藁にも縋る思いでコンタクトを取りました。

「一度直に見てみないと分からないから、当院まで来てください。精密検査を行って、治療方法を判断します」

話は、病院側の日本語が話せる気さくな通訳の女性を挟んで、医師とのやり取りが行われました。まさかのまさかで、僕はコロナ禍真っ最中の時に再び渡航することになったのです。

性同一性障害(FtM)とHSS型HSPの気質を持ち、先天性下肢長不等が大人になるにつれて悪化。海外治療の末、両脚・感染性偽関節の合併症となり帰国。現在は周囲に助けられながら国内治療をしつつ、社会人&大学生としてゆるりと車椅子生活中。趣味はバレーボール(現在はお休み)、読書、絵描き、旅行。

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