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「足るを知る」ことが大事だと再認識したパラアスリートの1ヶ月

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2023.11.28

シッティングバレーボールの日本代表として、10月後半に中国の杭州で開催された「杭州2022アジアパラ競技大会」と、11月前半にエジプトのカイロで開催された「ワールドカップ」に出場しました。国際大会での海外遠征のたび、自分自身の「障害者観」のようなものが揺さぶられます。

執筆:佐々木 一成 Kazunari Sasaki

シッティングバレーボールの日本代表として、10月後半に中国の杭州で開催された「杭州2022アジアパラ競技大会(以下、アジア大会)」に、そして11月前半にエジプトのカイロで開催された「ワールドカップ」に出場しました。

結果については、アジア大会が6位、ワールドカップは8位という、アジアでは負けたものの、世界では嬉しい成績(世界大会初の8強)という「外弁慶」な遠征でした。

以前の記事でも書きましたが、国際大会での海外遠征のたび、自分自身の「障害者観」のようなものが揺さぶられます。障害者という存在に対してどのように考えるのか、どのような社会や環境が必要なのか、生まれつきの障害者であるが故に考えさせられることが多い時間となりました。


アジア大会の選手村は、アジア各国のパラアスリートとそのスタッフが1つの街に集められたような感覚。20〜30棟ほどのタワーマンションが立ち並ぶ区画で約10日間ほど生活します。

選手村内を見渡せば、たくさんの障害者が生活をしているので、普段の環境を思うと、その感覚が一瞬麻痺します。いつもはマイノリティな存在が、一瞬にしてマジョリティになったかのような。自分自身が障害当事者であるのにも関わらず、その光景にはすぐには慣れません。

足が不自由な身体障害者は選手村内にはたくさんいますが、両足切断のアスリートは義足を履かずにスケボーに乗り、手で地面を漕ぎながら軽やかに移動していたり、両膝下で両足ともに切断しているアスリートは器用にスリッパを膝に引っかけ歩いていたり。広く括れば私と同じ「両足切断の障害者」ですが、私自身の「歩く」という当たり前は通用しない世界が広がっていました。


選手村の施設を批判するわけではありませんが、この傾斜どうやって上がるの?と思うようなスロープがあったり、音声ガイドなどないのにどうやって目が不自由な方は対応するんだろうというビュッフェだったり、日本だったらもう少し進んだバリアフリーを考えるだろうなと思った環境ではありました。

ただ、一人で上がらないのならば誰かに協力してもらえばいい、自分だけで認識できないのであれば誰かに協力してもらえばいいという、コミュニケーションでの解決を目指し、ハード面は最低限、足りないところはソフト面で補うという考え方は、理にかなっていると思います。

障害モデルや社会モデルという対比をしながら、よりよい社会を考えていくアプローチに異論はありませんが、自分自身の暮らしやすさや快適さ、環境の改善を考えるのであれば、自発的なコミュニケーションで周囲に働きかけるほうが早いのではないでしょうか。

私が他国のパラアスリートの方の移動のお手伝いをしたとき、満面の笑みで、カタコトの日本語で「ありがとう」と言ってくれました。その気持ちが心にぐっとくるからこそ、また何かあったら手を差し伸べられるといいなと感じました。ちょっとしたコミュニケーションで解決できる部分が社会にはたくさんあるはずです。


エジプト遠征では、写真のようにラクダに乗ってピラミッド観光もしてきましたが、個人的にはカイロの街中で見た、様々な人間模様に死生観が揺さぶられました。

道路の停止表示がある脇に佇む車いすに乗った物乞い、両足切断で地べたに座り路上で歌う物乞い、一目見ただけで障害があるとわかる小さな子どもを抱いて助けを叫ぶ物乞い。「障害」という枷が重くのしかかる社会なのだなと、彼らを横目に見ながら移動していました。

私自身、奇形児として生を授かり、いろいろな幸運に恵まれて今を生きていますが、もし自分が生まれた環境が違えば、もしエジプトのあのエリアで生まれていたら、今とは全く違う境遇だったと思いますし、38年も生きていない、生きられていないかもしれません。おそらくそうでしょう。

「貧困」という現実が横たわるエリアを見ると、「もし自分があの環境で生まれていたら」と思って、自分自身の価値観が変わるのかもしれませんが、生まれつきの障害者にとっては、そもそもの生き死にの問題がダイレクトに脳に刺さってきます。マウントを取るわけではないですが(何を相手にマウント合戦するかは分かりませんが)これは「生まれつき」だからこそ重くのしかかってくるものです。

日本で生まれたこと、日本で暮らしていることを幸運に思うことは、生まれつきの障害者にとって大切だと感じています。


東京パラが終わって以降であれば、ボスニア・ヘルツェゴビナ、カザフスタン、中国、エジプトと、なかなか行かなそうな国(中国は別かも)に遠征していますが、アスファルトで綺麗に舗装された道路に、路面と歩道に段差ではなく傾斜があり、駅にはエレベーターがあり、ゴミは比較的ポイ捨てされておらず、不快になるような臭いが一面に広がることも少ない日本は、私たちにとって随分と暮らしやすい環境だと思います。

福祉先進国と比較して、自分たちに足りないところを探すことも大事ですが、自分たちの現状を肯定することも同じくらい大切です。「足るを知る」という言葉もありますが、置かれた環境の中で感謝するところは感謝し、満足できるところは満足し、その現状に対する肯定的な言葉を外へ発信することは、社会をよりよくする動きの中で、当事者と言われる側がすべきことではないでしょうか。社会を変えるというお題目に対する途中経過がわかりません。

海外へ遠征し、現地の環境に触れる中で、帰国後いつも自戒しています。

1985年生まれ。生きづらさを焦点に当てたコラムサイト「プラスハンディキャップ」の編集長。
生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。年間数十校の学校講演、企業セミナーの登壇、障害者雇用コンサルティング、障害者のキャリア支援などを行う。東京2020パラリンピック、シッティングバレーボール日本代表。

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