私が就職で失敗した話
~双極性障害と診断されるまでの8年間~
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2022.7.13
職を転々とした後、33歳ではじめての就職。
入社して6日でうつ状態に。
3ヶ月で希死念慮発生、約3年後に病気退社。
その後双極性障害と診断された。
現在はフリーランスライターとして仕事をしている。
執筆:藤森 桂 Kei Fujimori
私が33歳の時、生まれて初めてまともな「就職」をした。
それまでは、アルバイトや実家の手伝い、派遣などを転々としていたが(後で知ったが、職を転々とするのは双極性あるあるらしい)、やっと見つけた某市の小学校非常勤講師の仕事があまりに割りが悪く、家でも授業の準備をしているくらいなのに、金銭的に日常生活に支障をきたすようになった。
子どもたちに教えるのは楽しかったが、これは「やりがい搾取」ではないかと思うようになった。教員採用試験には落ちたので、何か正職員の職を探すことにした。
まさかと思ったが、150倍の倍率をかいくぐって採用された。ちなみに、ここは誰でも知っているような大きな組織で、障害発症あたりのことをペンネームで書かなければならない理由の一つになっている。
初日の4月1日。うながされて挨拶をする。
「藤森桂といいます。どうぞよろしくお願いします」
拍手はおろか、静まり返って、無言で遠巻きに私を値踏みするような視線が突き刺さる。
(場違い……)
この、初日に感じた違和感を大事にしていれば、双極性障害にはならなかったかもしれないと考えてみることもある。でもまさか、後にそんな展開になるとは思わない。
6日目、職場で昼食をとっていると、みるみる舌から味が「消えた」。
あわてて耳鼻咽喉科に行ったが、血液検査をされて、無愛想に「異常はない」と言われただけだった(味覚の異常は半年間ほど続いた)。
1か月すると、通勤電車の中で涙がひざの上にぽとぽとと落ちた。
職場では、判子を隠されたり、100円玉を盗まれそうになったりした。子どもか。明らかな嫌がらせで、心が折れそうだった。いや、すでに折れていたか。
その日も、何か文句を言われたが、覚えていない。就職して約3か月目の夜、それは起きた。
(読者の方のトラウマになりそうな描写が多々含まれるので今回は省略)
「朝一番に精神科に行こう。精神科に行けなかったら……」
その日は木曜だったが、自治体の相談機関で、この地域の精神科は、木曜日はだいたい休診だと知らされた。それでも電話をかけまくり、やっと診察してくれる医師が見つかった。
午後、診療所に行くと、年配の男性の医師は開口一番こう言った。
「あなたはうつです。でも、うつは治ります。」
そう言って、1週間休職の診断書を書いてくれ、1週間分の薬をくれた。
薬で希死念慮はなくなったが、うつは一向に治らない。通院は数か月、気がつくと2年を超えるようになった。
その頃医師が過労で倒れ、私は別の診療所に通うことになった。しばらくは以前と同じ処方を受け、休職を続けた。
そして、あの夜から約3年が過ぎた。休職がそろそろ終了となる。もう職場に戻るつもりはなかった。
退職金をもらって、病気退職となった。私物は箱に入れて送ってくれたが、中にはゴミが混じっていた。
実のところ、退職すればうつは治ると考えていた。しかし、うつは一向に解消しなかった。
「うん、双極性だね」と新しい医師の診断がおりて、正直ほっとした。8年たってもうつが治らないことや、時にテンションが上がることもあって、うつ病の診断に違和感があったから。
双極性障害と診断されるには、精神科などの初診から、平均して7年半~8年かかるという。私はちょうど平均どおりだったわけだ。
双極性障害には遺伝的な要素もあるらしいので、就職で失敗しなくても、何らかのきっかけがあれば、いつかは発症していたのではないかと思う。でも、発症しないままいられればよかったとの思いが消せないのも事実である。
今度こそ、自分に向いた職を探すことにした。
現在は障害年金を受給しながらではあるが、フリーランスでライターとして活動している。
不払いなどの厳しいこともあったが、だいたい良い取引先に恵まれ、やりがいを感じて働いている。双極性障害の障害特性、気分の上がり下がりで苦しむことはあるが、もう周りには幼稚で陰湿な嫌がらせをする者もいない。
最初で最後の就職には失敗したが、私はこれからだと思う。
Text by
Kei Fujimori
藤森 桂
双極性障害II型と双極性障害急速交代型の間で様子見中のフリーライター。障害者手帳2級、厚生年金2級。仕事で社会参加し、障害の中でも人生を楽しみたい。私の唯一の職能であろう、ライターのお仕事は常時募集中。別ペンネームで書籍、電子書籍、雑誌、新聞、WEBなどで活動中。ここでは自分が当事者である、双極性障害のことを中心に発信していきたいです。