当事者性という病
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2024.3.13
今回は当事者性についての話です。
私は人生の色々な場面でこのことを考えさせられてきました。そして今、精神障害当事者(双極性障害)という最強のカードを持っています。さて、そのカードを自己防衛的な意図で使うか、否か。
執筆:糸ちゃん
どうも、最近ラジオ活動を始めた糸ちゃんです。「きえるまでラジオ」といいます。YouTubeで公開しているので聴いてね。
さて、今回は当事者性についての話です。難し気な響きになんのこっちゃと思われるかもしれませんが、私は人生の色々な場面でこのことを考えさせられてきました。
例えば大学時代、私が一番お世話になった先生は部落出身の元活動家でした。彼はよく自身の出身について冗談交じりに「これがブラック(部落)ジョークだ」といい、周囲の(若干の引き)笑いを誘っていたものです。
また、同じく大学時代、私は沖縄の歴史と米軍基地を研究するゼミに参加して現地に取材にいくなどの活動をしていたのですが、ここでも当事者性がよく見られました。
「普天間や辺野古の周辺に住んでもいないのに、私たちの問題について語るな!」といった主張です。
そして私は今、精神障害当事者(双極性障害)という最強のカードを持っています。これを行使するのは簡単です。
ある日、職場でミスをしてしまったとしましょう。それをすかさず双極性障害のせいにするのです。もしも上司が理解を示さないようなら、「俺の病気のコトなんて何もわからないくせに、偉そうな態度をとるな!」と言えば相手は黙るほかないでしょう。こうなるともう無敵です。
つまり当事者性とは、建設的に発展できたかもしれない議論や衝突を、強権的に終わらせる手段として行使されることがしばしばあります。彼ら・彼女らの悲痛な体験や苦しみを知らない非当事者には、口出しする権利は一切ないという名目で。これは実にもったいないことだと私は思います。
更にこのテーマを深めるにあたって、私と仲良くしてくれている車いすの女性が先日直面したケースについてお話します。彼女は様々なメディアで積極的に情報発信をしている才能豊かな努力家なのですが、以前投稿した動画にこんなコメントがついていました。
「あなたは健常者から車いすユーザーになっただけで、障害当事者なんかじゃない! 分かったふうなことを言うのはやめてくれ」
これを見て私は「???」となりました。
この論理でいくと、生まれつきの障害を持っている人だけが当事者として公共の場で発言する権利があるが、あらゆる(私を含む)中途の障害者はそれを有していないということになるのでしょうか。
そのコメントをした人が何らかの障害者なのかは定かでありませんが、このように当事者が自分より「程度が軽い」と判断した当事者を差別するという、なんともやるせないというか、明らかに大きな矛盾をはらんだ逆差別がこの社会には蔓延しているのです。
ここまで見てきたように、当事者性とは「難しいね」の一言で片づけていい問題ではありません。というか、ほとんどの場合においてそれは有害に作用します。
近年急増しているHSPやギフテッドといった、医学的根拠が不明な新造の概念にとびつく人たちも、十分に注意してそういった言葉と対峙するべきでしょう。
そこで安易なアイデンティティを獲得し、当事者性という武器として振りかざすならば、おそらくその人は遅かれ早かれ、議論や忠言を封殺する手段としてそれを用いるようになるはずです。ちなみに私はこれらを「生きづらさ商法」と呼んでいます。気を悪くされたならごめんなさい(反論のコメント待ってるぜ!)
と、ここまで当事者性を批判するようなことばかり書いてきましたが、悪い側面ばかりではありません。
例えば近年問題となっているヤングケアラー(育児・家事・介護など本来大人が行うべき仕事を担っている未成年)などには、まさに当事者性を自覚できないことによって問題が深刻化していく構造があり、逆にそれを早急に獲得する必要があると言えます。
同じように、実は自分は気づいていなかっただけで何らかの被害者・被抑圧者だったのだという気付きは、この社会をより良く変革していく上で大きな原動力となるでしょう。
また、それこそ精神科領域では病名を告げられることで、それまでずっと扱いが分からなかった自身の生きづらさに光があたり、生きやすくなるということもよくあります。ていうか私がそうでした。
名前を得るということは対象の大まかな形が分かることでもあるので、自身や他人の理解にも大いに役立ちます。そのため、適切な程度の当事者性の獲得は、この長く辛い人生を歩んでいく中で正の側面があるといえるでしょう。
以上が、当事者性という(闇)深いテーマに関する私の考察です。私はこれからも、精神障害当事者というカードを自己防衛的な意図では使わずに生きていきます。それが良いか悪いかは、個人の美意識の問題なのかもしれませんね。