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コロナ禍の入院、左足切断、義足作製、リハビリ。病気と孤独と戦った2020年のこと。

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2021.2.16

2020年6月。社会人2年目を迎えた23歳の初夏。私は滑膜肉腫というガンの治療のため、左足を膝下から切断しました。今は、義足を履いてサラリーマンをしています。今後は、こちらのコラムを通じて、義足の私がどのように仕事をしているか発信していきます。

執筆:林 力希 Riki Hayashi

2020年6月。社会人2年目を迎えた23歳の初夏、私は滑膜肉腫というガンの治療のため、左足を膝下から切断しました。今は、義足を履いてサラリーマンをしています。

10歳の頃から痛みだした左足土踏まず。17歳の時に原因が滑膜肉腫と判明し手術を受けました。やっと痛みから解放された!と思ってから6年、再発が発覚。ガンを根治させるために切断をしました。

2020年は、皆さんにとってどんな年でしたか。

「新型コロナウイルス」という言葉抜きにこの年を語れる人はいないと思います。

2020年のほとんどをガンの治療と義足の練習に費やした私は、一見関係ないように思われますが、実は同じです。

コロナ禍の入院での面会制限。

一つ目の病院は、完全面会禁止。二つ目の病院は、家族のみ週に1回荷物の受け渡しに限り面会可能。人に会えない事の辛さを痛感した一年でした。

社会人一年目の終わり頃、赴任先の長崎で新米営業マンとして奮闘していた2020年3月に再発が発覚。すぐに地元の東京に戻り、抗がん剤治療を開始しました。

少しでもガンを小さくできれば切断以外の治療法で治せるかもしれない。そんな願いを込めて4月に3週間入院、5月に3週間入院し、2回に渡り抗がん剤投与を行いました。

一度目の入院。はじめての抗がん剤はとても苦しく、吐き気、眠気、食欲不振、便秘、脱毛といった副作用にも悩まされました。気持ち悪さの種類は、例えるなら二日酔いが永遠に続くような感じで人と話をすることすら辛かったです。

コロナ禍で友人の面会もなく、四人部屋なので電話可能スペースへ移動しなければ電話もできませんでしたが、そんな体力はありませんでした。

テレビやSNSで楽しそうな人を見ながら、なんで俺だけこんな思いをしなければならないんだと思ったり、コロナに苦しむ人たちをみて、辛いのは俺だけじゃないのかと思ったり。
いろんな感情が行ったり来たりしていました。

唯一楽しかったことと言えば、同部屋の人と仲良くなって夜な夜なカップ麺を食べたこと。一緒に頑張る仲間がいるって心強いなあ。いろんな思いを抱えながら、なんとか3週間を乗り越え退院しました。

二度目の入院は5月。2回目にもなると副作用には少し慣れてきました。

相変わらず面会禁止で人と会えないのは辛かったですが、友人にはすでに病気のことを打ち明けていて、激励のメッセージをたくさんもらい、元気を出しました。

そして四人部屋の同部屋の方々とたくさん話をして、共に病気を乗り越えるために励ましあって、なんとか3週間を乗り越え退院。

抗がん剤治療中、足の腫れを毎日眺めていて、まだ腫瘍があることぐらい目で見てわかっていたから、もう覚悟はできていました。

三度目の入院は6月。この入院は切断手術のため。

激しい痛みに呻き、心配した看護師さんにモルヒネを投与してもらい、状態を落ち着かせたこともありました。

この時の入院の最初の1週間は、人と会えないから辛いどころではなく、とにかく痛みとの戦いでした。

そんな中、YouTubeで義足の情報をあさっていた時に、ふと気づいたことがありました。切断してから何年も経った人の投稿はあるけれど、リアルタイムで「左足を切断しました」などの投稿をしている人がいないことに。

自分が同じ境遇の人のために、発信するべきだと感じました。

動画撮影および編集を開始し、のめり込むことで寂しさを克服し3週間を乗り越え退院しました。

そして傷口が塞がるまでの1ヶ月半は、義足を履くことはできないため自宅待機。これが束の間の休息で、コロナ禍の影響で遠出はできませんでしたが、家族や友人と自由に会える喜びを謳歌していました。

松葉杖生活でしたが、ラーメンを食べに行ったり東京タワーに行ったりなど、自由な時間を過ごしました。

7月末に義足の作製およびリハビリのため施設に入院。毎日16時に義足練習のリハビリが終わると、部屋で一人孤独な時間が始まります。

漫画を読んだり、どうにかして時間を潰そうとしても、どうしようも無い孤独感は消えてくれません。とにかく寂しくて辛い時間がストレスとなっていました。

リハビリ施設のスタッフとの談笑がとにかく心の救いで、施設近辺のスポットを義足をはいて探検しては語り合いました。

だんだん歩けるようになってくると途端にまた夜が辛くなります。もう歩けるのに、なんでこんな孤独な思いをしなければならないんだ。早く退院したい。コロナさえなければみんなと会えるのに。

そんな2ヶ月半の入院を終え、ようやく2020年12月から職場に復帰しました。一人で呆然と過ごす夜を何度も超えたいま、仕事ができる喜びに感謝をもって過ごせています。

勤務先については、会社が寛大な配慮をしてくれました。長崎県から地元の東京に異動させてもらい働いています。

家から通える距離。 
3ヶ月に一度のガンの検査。
義足に不調が出た時に調整のための通院。
朝ゆっくりと支度を取れるような時間帯での出勤。

はじめての義足生活を送る上で、ありがたい条件が揃ったシフト制の勤務形態の部署への異動をさせてもらいました。

私の義足はまだ仮義足であるため足の管理がとても大変です。義足を履いているとだんだん足が細くなり、布を足さないと緩くなってサイズが合わなくなってしまいます。

今後は、こちらのコラムを通じて、義足の私がどのように仕事をしているか発信していきます。

1996年生まれ。義足を履いたサラリーマン
2019年損害保険ジャパン株式会社入社。営業職を経験。2020年6月に滑膜肉腫というガンの治療のため左足を膝下から切断する。義足のリハビリを経て、2020年12月から自動車事故の初期対応の業務に従事。YouTubeにて、義足での日常をアップロードしている。

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