精神病棟への入院について
未来の夢につながった入院生活
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2022.2.21
「精神科に入院を勧められたけど不安……」
「実際、精神科病棟ってどうなの?」
今回は、このような不安や疑問をお持ちの方に読んでいただきたいお話です。
高3の年末年始に総合病院の精神科(閉鎖病棟)に入院した私の入院理由や感じた雰囲気や出来事などを、簡単に精神科入院形態・精神科病棟の実情と絡めてお伝えします。
※個人的な実体験によるコラムのため、客観的にお読みいただけると嬉しいです。
執筆:萩 雪希 Yukino Hagi
高3の冬、人生最大の希死念慮が来た
希死念慮を持つようになった時期を明確には覚えていませんが、小学生の中学年ごろには時々顔を覗かせるようになっていたと思います。波のように強くなったり弱くなったり、凪のように無くなるときもありましたが、それでも私の心の底には常にあったと考えています。
以前のコラムにも書きましたが、高2に希死念慮が一気に悪化しました。その時にも勿論、入院の話は出ましたが、私が入院に積極的でなかったこと、まだ精神科に通いだして日が浅かったのもあって入院には至りませんでした。
しかし、高3の冬に過去最大の希死念慮が私を襲いました。溜めに溜めたイラストなどの創作物を破り捨て、部屋にある要らないものを全てゴミ袋に詰め、遺書を日記にしたためるなどの身辺整理をしました。
それと同時に、自殺の計画も。方法、必要なもの、母のいない時間帯などを全て書き込みました。そして、何を血迷ったのか、この紙の裏面にカウンセリングを担当してくれていた公認心理師の先生に渡すメモを書いて「裏面は見ないで」と言って渡しました。
今思えば、そうすることで気付いて欲しかったのかも知れませんが、当時はその考えに至る余裕がないほどに追い詰められていたのだと思います。
そして勿論その裏面を見た先生が母を呼び出し、精神科への緊急受診が決まりました。
この受診の日と、コロナのせいでクラスメイト全員が集まれる最後の日だった終業式とがかち合ってしまったために、とても悲しく、ショックだったことを担任の先生に吐露したのを覚えています。
その受診で勿論入院を勧められ、病棟へのイメージのなさから恐怖心を持っていましたが、他の先生たちも入院を勧めたことから、入院することを決めました。
閉鎖病棟で送る入院生活
入院期間は、2020.12.28~2021.1.4でした。形態としては任意入院の形式であったものの、行動制限となる開放処遇の制限を持った閉鎖病棟への入院でした。
ここで、身体科とは異なる精神科特有の入院形態について説明をしておきたいと思います。
1、 任意入院
精神保健福祉法で最も基本的な入院形態とされる。
患者自身の自由意思で入院する。この形態は、人権擁護の観点からは勿論、障害受容や自立支援にもつながる。
任意入院における行動制限として、
自由に外出ができる開放的な病棟環境への入院で、退院の申し出をすれば退院させなければならないが、病状によっては精神保健指定医の診察により入院継続の必要があると判断された場合は72時間に限り退院制限を行える。
また、告知義務として、「1、本人の同意に基づく入院であること、2、36条に規定する行動の制限、3,処遇に関する事項などで、特に4,知事に対しての退院の請求や処遇の改善を請求できること」(引用終わり)を書面にて告知し同意を得ることが義務付けられている。
2、 措置入院
自傷他害の恐れのある精神障害者に対し、知事がとる強制的な入院のこと。非自発的入院であり、隔離や拘束がとられることもあるが、全ては安全を確保するためという大原則に基づいている。
知事は「診察及び保護の申請、通報、届け出」の3つを受け2名以上の精神保健指定医に命じて見解が入院させなければ自傷他害の恐れがあると一致した場合に措置入院とする。
入院先は限定され、また、病状報告を知事に対して6か月ごと求められる。
行動制限はできるだけ通常の形態に戻していくことが求められる。この形態の間は自己負担金は無い。
3、 医療保護入院
本人の同意がなくても家族等の同意があり、指定医の診察の結果入院が必要とされた場合に取られる。家族等がいなければ市町村長がその任を負う。また、非自発的入院であり、書面での告知や都道府県知事への届け出が義務付けられている。
4、 応急入院
急を要し、保護者の同意を得ることが困難な場合に、指定医の判断で取られる非自発的入院であるが、72時間に限られる。また、特定病院の特定医師の場合は12時間に限り指定医に代わり権限を持つ。
行動制限・身体拘束について
絶対に制限できないものとして、
1, 文書の発受
2, 弁護士や人権擁護委員との面会
診療報酬に「医療保護入院等診療料」が新設、行動制限最小化委員会を設け行動制限を最小化していく検討会議を月1で行うことで査定できる。
引用元:参考文献:精神疾患とその治療[第2版]【精神保健福祉士シリーズ1】 2020年9月30日同2刷発行 編者/寺田善弘 発行者/鯉渕友南(株式会社 弘文堂)
これまでも身体科への入院は何度かありましたが、精神科への入院は初めてだったこともあってかなり緊張していました。ですが、入院説明に来てくれた看護師さんが同じアニメが好きという共通点や、緊張を解そうとしてくれたおかげで、多少は緊張がほぐれました。
私の場合は、事前に麻酔科の先生が「雪希ちゃんなら、縛り付けられることはないから大丈夫だよ」と言っていた通り、身体拘束はありませんでしたが、急性期の閉鎖病棟のために一人では売店に行けなかったり、感覚過敏による騒がしさが辛かったです。
しかし、特に辛かったことが2つありました。
ー ① 複数回のおじいちゃん乱入事件
この出来事の背景として、今の入院患者の割合が大きく関係しています。
精神疾患を有する入院患者の推移として、血管性などの認知症、アルツハイマー型認知症の患者の割合は7%台を推移しています。
引用元:参考文献:精神疾患とその治療[第2版]【精神保健福祉士シリーズ1】 2020年9月30日同2刷発行 編者/寺田善弘 発行者/鯉渕友南(株式会社 弘文堂)
決して少なくない割合であり、また、私が入院した病院は地域で唯一の入院施設を持つ病院であったこと、そして、この出来事は随伴症状である徘徊でもあったのではないかと今は考えています。以上のように、現状を鑑みると致し方のない面もあると思います。
しかし、当時の私にはそのような知識は存在せず、ただ出口を求めてさまようおじいちゃんが日に何度も入ってくるという怖い出来事という認識でした。そのため、いつも気を張っていなくてはならない状況にあり、療養できたかと言われると正直微妙です。
ー ② 涙腺決壊事件
先ほども述べたような出来事のために、看護師さんもお年寄りの患者さんにかかることが多く、私は手をかけられること自体がありませんでした。
また、私は当時、親しい友人に入院していることを伝えていなかったので、友人たちがカラオケに行って楽しそうにしているSNSを見て、入試に向けて頑張っているSNSのフォロワーたちを見て、羨ましさや疎外感を感じていました。
そのことも相まってか、私は大晦日の日に大泣きをしました。勿論、そのことを見ていなかったので看護師さんたちは知りません。しかし、夕方の巡視で入院説明をしてくれた看護師さんが私の様子に気が付いたのか、話を聞いてくれました。
様々なことを話しましたが、特に印象に残っている言葉を当時の日記から紹介します。
殆ど大人にカウントできるくらい考えがしっかりしているし、大人びている。
だからこそ、生きにくいんだと思う。
今の辛さや悲しさは、この先の人生で絶対に活きる。
この看護師さんとの出会いと話した時間、かけてくださった言葉は私の中で大切なものになりました。
退院して1年経って思うこと
まず、入院生活は辛いことが多かったですが、それは前述したような理由によるものであって、全ての病院がこのようなわけではないことを強く述べておきたいです。
それを踏まえて、今は私にとって入院生活は決して無駄ではなかったと思えます。
当時は、怖さやストレスが勝りましたが、今は一連の出来事の理由に関する知識が付いたことから客観視することができるようになったこと、閉鎖病棟での入院生活は、公認心理師・臨床心理士を目指す私にとって、クライエントに対する関わり方の参考となり、将来に有益な経験であると感じたことが大きな要因に思います。
それでも、この記事の執筆は今までと違い精神的な負荷が大きく、書けるようになるまで長い日数を要してしまいましたが。
終わりに
この記事では、私の入院生活を赤裸々に書いたために、精神科に対する恐怖心を持たれた方もいらっしゃったかもしれません。ですが、看護師さんとの出会いや客観視により、今は入院生活を肯定的に受け入れることができています。
この記事が少しでも参考になりましたら幸いです。
お読みいただきありがとうございました。