リウマチになって気づいたこと
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2024.2.9
環境や状況が変わると、これまでとは気がつくことが変わると思います。
今回は、自分自身がリウマチになって状況が変わり、気がついたことなどを綴ってみたいと思います。
執筆:さらな
世の中、忙しすぎるのでは…
リウマチになってから気づいたことの1つに、「世の中、忙しすぎるなぁ」と感じることが多々あります。
厳密にいうとリウマチになる前から、「こんなに忙しくしなくても良いのでは?」と思うことはありました。
しかし、リウマチを発症してからはますますそう思うようになりました。
現在の私自身は、以前の自分と比べると疲れやすく休憩が必要で、動きもゆっくりです。
そのため、1日の間にできることは少なめです。
そんな状態の自分が世間のリズムに合わせると、とんでもなく忙しく感じるのです。
できることが少ないので当たり前なのですが、ふと、「これって必要なことなのかな?」と思うことも多いのです。
たとえばPTAのこと
私には小学生の子供が2人います。
小学生の親といえば、学校がらみでしなければいけないことがたくさんあります。
その1つにPTAというものがあり、これに関しては「自分はPTAをやめる」という選択肢をとることもできますが、現在はあまり一般的ではありません。
このPTAの作業や会議が年に数回ありますが、中には「本当に必要か?」と思うこともあります。
また、学校以外でも、住んでいる場所によっては地域活動に参加しなければいけない、職場での暗黙のルールなど、様々な「やらなければいけないこと」があると思います。
現在の私は日常のタスクをこなすのに1日の時間を使うため、これらの「やらなければいけないこと」が入ってくると、とても大変になります。
「リウマチなんだから当たり前」なのですが、ふと、健常者の方は大変じゃないのかな?と思いました。
なぜ「断る」のが難しいのか?
私自身は、自分がリウマチで厳しい場合、「申し訳ありませんが、無理です」と伝えることにより、「大変だからいいよ」と言ってもらえることもあります。
しかし、健常者の方は、断る理由やできない理由がなければ断ることができず、「あぁ、大変。。」となっている場面も見かけます。
しかも、「本当にそれは必要なのか?」と思う内容に時間を取られるのです。
障害者はある意味、「大変だからいいよ」と言ってもらいやすい立場でもありますが、健康者の方は、「健常者」というだけで、その個人の状況や環境は関係なしに「やらなければいけない」とされることが多い気がします。
大切なのはコミュニケーション
最近ではこのようなことは減ってきているというか、変化があると思っていますが、今後も、あらゆることに関して、「本当に必要かどうか?」を考えて変化していくといいなと思います。
それには、フラットなコミュニケーションがとても必要だなと感じています。
「こう言ったらこう思われる」「自分の方が立場が低いから相手に合わせる」ではなく、少しずつでも、本当のことをお互いにフラットに、冷静に話せるようになっていけばいいなと思います。
そうすることで、世の中スムーズに進むことや、新しいアイデアが出てくるなど、風通しがよくなるのではないかと思います。
世の中、やらなければいけないと思っていることが多いと思っているけれど、実は本当はなくても良いことがたくさんあるのではないでしょうか。
もちろん私自身も、「やらなきゃ」と思って動いていることはまだまだあります。
しかし、少しは「本当に必要か」ということも考えられるようになった気がします。