見た目では分からない生きづらさと対応
1 1
2024.3.11
リウマチという病気は見た目では分かりません。一見「障害者」と分からないのでそれで苦労することがあります。以前の私は、その辛さを周りの方に伝えることを躊躇していました。
でも、勇気を出して伝えてみたら、みなさんの反応がとても優しく温かかったのです。今回は相手に伝えることの大切さについて書いてみました。
執筆:さらな
たとえば学校やスーパーで
たとえば、子供の小学校でのこと。小学生の子供がいると、参観日やPTA作業以外にもさまざまな用事で学校に出向くことがあります。
インフルエンザなどで学級閉鎖になったり、先生から必要な伝達事項があったりなどさまざまですが、急遽学校に呼ばれることがあるんです。
そんな時、リウマチの症状が強く出ている時は歩くのが厳しいので、できればお客様用の玄関で用事が済んでほしいと思います。(最近の小学校では、不審者に対する警戒から、インターホンを押して要件を伝え、先生が出てきてくれるパターンが多いです。)
私がリウマチで歩くことや立ちっぱなしがしんどいことを知っている先生もいますが、もちろん知らない先生もいます。知っていても、症状をあまり知らない先生もいます。
ですので、インターホンで要件を伝えると、「教室まできてください」と言われることもあります。
靴を脱ぐ、スリッパを履く、2階まで階段をあがるなど、症状が出ている日にはきつい動作です。
でも、もちろん見た目では分からないし先生もこちらの今の状態を知らないので誰も悪くありません。
また、スーパーなどでは障害者用の駐車場が用意されています。私も足が痛くて歩くことがきつい場合はこちらの駐車場をよく利用させてもらいます。
とても助かるのですが、見た目では障害者と分からないので、ほかのお客さんに「マナー違反の人」というような目で見られることがあります。
痛みというのは他人から見ると分からないので仕方ありませんが、自分自身はマナー違反をしているわけではなく辛いところがあります。
黙っていても「辛さ」に気づいてもらえない
日常生活を送っていると、これら以外にも見た目では分からないことが色々あると思います。
私のようなリウマチを持っている方以外でも、仕事中に「実は頭が痛い」「実はお腹が痛い」など他人から見ても分からない辛さがある場面もありますよね。
そのような時、声に出して言えず、「頭が痛い」せいで仕事に集中できない、失敗してしまうなど、さらに相手を怒らせてしまい辛くなる方もいるのではないでしょうか。
私はリウマチになってしばらくは、辛い場面でも他の人に「痛い」と伝えることができませんでした。
もちろん相手はこちらの状態を知らないので普通に接してきます。それなのに私は「しんどいのに!」「痛いのに!」と思ってしまうことがよくありました。
言えないまま、つらい状態で無理して動いていたのです。さらに、辛いことを相手のせいにしてしまうこともありました。
「気づいてよ!!」と思っていたのですが、無理に決まっていますよね。笑
そして、あまりに辛く、相手に伝えるしかなくなりました。
勇気を出して、「辛い」と伝えてみたら…
相手に自分の状態を伝えるのに、最初はかなりの勇気が必要でした。
「申し訳ない」「迷惑をかける」「かわいそうと思われる」「面倒臭いと思われる」など、色々な思い込みがあったんです。
ですが、勇気を出して相手に伝えると、相手はとっても温かく優しく対応してくれる場合がほとんどです。(たまに、ものすごく気の毒に思われますが。笑)
相手が返してくれた反応で、とても気が楽になりました。これまできついと思っていたのは、完全に自分の思い込みだけだったのです。
現在では、地域の役員や学校がらみの役員など人と何か一緒に行動する必要がある場合は、前もって伝えるようにしています。
「じゃあ休んでてください」となるわけではありませんが、相手が自分の状態を知っていてくれるだけでも、スムーズに進むことが多いです。
疲れた時に、少しの間座らせてもらうことも違和感なくできます。
さすがに、スーパーで障害者用の駐車場に停めた時こちらを見ている方に「リウマチなんです!」と伝えることはしませんが。。
伝えることで、生きづらさが少し減るかもしれない
とくに日本で生まれ育った私たちは、自分の状態を他人に伝えるのがあまり得意ではないと思います。
頑張って無理をしてしまう人も多いと思います。
ですが、自分の状態を正直に誠意をもって相手に伝えることで、より気持ちよくコミュニケーションをとれることを実感しています。
無理をしたり我慢をしたりすると、何も悪くない相手のせいにしてしまうこともよくあります。
相手は気づかなくて当たり前です。そうすると、対人関係にひずみや悩みがでてきます。
ただ、「相手に伝える」というだけでも、生きづらさややりづらさが大きく変わることは、障害者、健常者ともに、もしかするとたくさんあるのかもしれません。