働くことが怖くなった筋ジストロフィーの私が、再び働き始めたきっかけ
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2021.7.20
「障がい者」という扱いから抜け出せず、心も体もしんどくなり逃げるように寿退社をした私は、働くこと自体が怖くなり、結婚後は専業主婦の生活を送っていました。今回は、そんな私が再び働こうと思ったきっかけについて話していきたいと思います。
執筆:高山 あっこ Akko Takayama
初めは楽しかった専業主婦生活も、だんだん不安に押しつぶされるように
結婚を期に会社を辞め地元を離れた私は、新しい土地で専業主婦としての生活をスタートさせました。
近所のスーパーを開拓したり、慣れない料理やお弁当作りに挑戦したり、週末は夫と2人で遠出をしたり。初めのうちは、新生活を楽しむことや慣れることに勤しんでいました。
家のことだけをして、精神的にも肉体的にも不可の少ない環境でのんびり過ごす。私の望んでいた日常でしたが、生活に慣れ目新しいことが少なくなってきた頃、急に病気に対する不安に襲われました。
「何か前向きなことに取り組んでいないと『進行性』という後ろ向きな病気の重圧に押しつぶされてしまう」。実際、当時の私は突然感情的に泣く日が多くありました。
働くことが解決策の1つだとは分かっていましたが、恐怖心が生まれていた私はどうしても就労に関して前向きになれませんでした。
人生を懸けてやりたいことを見つけた。けれどその翌日に一転。
「このままでは、自分も夫もしんどいな」と思いながら過ごしていたある日、1本の映画に出会いました。三浦しをんさん原作の映画「舟を編む」。言葉に魅せられた人々が辞書を作るストーリーが丁寧に描かれている作品です。
この映画を観て「ピーン!」ときました。
「私もこの映画の人々のように、人生を掛けて言葉を勉強しよう。そのためにもう1度大学に入ろう。もちろん文学部。大学院まで行って、卒業後は言葉を研究しながら過ごそう。続けていればいつかお金になるはずだ」。
人生を懸けてやりたいことが見つかった興奮で、脳からアドレナリンがダーダーと出ているのを感じました。
「早速行動だ!」と受験勉強のための参考書を意気揚々と購入したその翌日、妊娠していることが分かりました。
再び働こうと思うきっかけになった1枚のチラシ
「何かしら前向きなことに取り組みたい」というのが、行動の原点だった私は、あっさりと方向転換。受験生としてガリガリ勉強する予定を止め、妊婦生活一色になりました。
お腹の中で命が育つ妊娠という現象はとにかく前向きで、病気のことなど意識する隙はありませんでした。
妊娠生活が終わった後は、育児がスタート。すくすくと育つ子どもの存在も前向きで、引き続きくよくよする暇などない日々を過ごしていました。
しかし、ある程度子どもが大きくなり心や時間に余裕が生まれると、また病気の不安が襲ってきました。
その不安を埋めるように次はマイホーム購入に没頭。「間取りはどうしよう?カーテンは何色にしよう?」など、1年近く不安から逃げることに成功しました。
しかし、マイホームが完成し、住まいの環境が整うと、またまた心の中に不安が戻ってきました。
「次のことをしなければ、そろそろまずいぞ」。
そう思いながら過ごしていたある日、ポストに「ママライター育成講座の受講生募集」という1枚のチラシが入っていました。
長い文章を書くのは苦手、新しい人と出会うのは精神的に負担、そもそも入るのにテストがあるらしい、などいろいろと不安はありましたが、病気の不安に押しつぶされたり家族に当たり散らしたりするよりはマシだと思い、勇気を出して応募をしました。
この応募が、再び働くきっかけへと繋がっていきます。
終わりに
「進行性」という病気の重圧に負けないように、何かに挑戦し続けてきた結婚後の私。ついに挑戦するネタが切れ、逃げていた仕事に挑戦することにしました。
「自分らしく無理をせずできる働き方とは何か?」という課題に対し真剣に向き合うことになる「ママライター育成講座」からスタートするライター人生。これに関してはまた次回書きたいと思います。