健常者の中に突然障害者の私が入って仕事をしたら違和感を覚えた
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2021.9.28
私は脊髄性筋萎縮症という、生まれつきの病気のため、電動車いすで生活しています。高校卒業後、就職先が決定。夢だった社会人生活がスタートしましたが、健常者の中で働くことに違和感を覚え、どのように捉えていくか悩みました。今回は健常者の世界に飛び込んだ私の心の変化をまとめてみます。
執筆:佐々木 美紅 Miku Sasaki
はじめに
私は脊髄性筋萎縮症という、生まれつきの病気のため、電動車いすで生活しています。
脊髄性筋萎縮症とは、体幹、腕、脚など全身の筋肉を動かす脊髄の細胞に異常があり、筋力が低下していく進行性の難病です。
小学1年生から高校3年生まで入院しながら併設されている養護学校に通っていました。高校卒業し念願だった社会人デビューのはずが、 自分が障害者ということで違和感を覚えたのです。
自分が障害者だと意識した瞬間
幼い頃、公園の砂場で友達と遊んでいました。当時の私は背もたれがない状態でも、座っていられるくらいの筋力はありました。みんなで砂の山を作って楽しく遊んでいたのですが、急に追いかけっこが始まったのです。
自分も立ち上がって行こうとしたのですが、体に力が入りませんでした。そして一人その場に取り残されてしまい、その時に「自分の体はみんなと違うのだ」と意識しました。
自ら決めて養護学校へ進学
小学校に上がる時、母は私にこんな質問をしてきました。
「あなたと同じように歩けない子達がいる学校と、みんな歩ける子達がいる学校どっちがいい?」
私はこの質問を聞き、砂場で一人取り残されてしまった悲しみと同じようなものが胸に広がっていきました。そしてしばらく悩んでから、養護学校に行きたいとお願いしたのです。
入学すると、車いすの方だけでなく、様々な障害の持った子供達がいました。
- 車いす
- 内部障害(心臓や腎臓など、体の内部に障害がある人)
- 耳が不自由な人
- 知的障害がある人
- 精神疾患のある人
また、学校の建物や設備は、障害者が使いやすいようにバリアフリーの作りになっており、例えば…
- 電気やエレベーターのボタンの位置が低い。
- お手洗いが全て広く作られている。
- 洗面台が車いすでも膝が入るようになっている。
といった環境が広がっていました。周りの生徒は障害者しかおらず、学校の先生、看護師、リハビリの先生、みんながサポートしてくれる環境で過ごしていました。
「助けて」と言えば、すぐに誰かに助けてもらえます。サポートをしてくれる人たちは、普段から障害のある人たちと関わっているので、こちらの言葉足らずでもかゆいところに手が届く状態です。
少しお願いをすれば困ることはないので、いつしか自分に障害があるということを忘れていたかもしれません。
自分が障害者という違和感
高校を卒業し、北海道庁で行政実務研修生として働くことになりました。部署には一人だけ正社員の車いすの先輩がいましたが、その他は健常者ばかりでした。
まず、はじめに驚いたのが、歩ける人の中に入って出勤時の混雑したエレベーターに乗るとものすごく視界が悪いということです。私だけ座っていて周りは全員立っている。この環境の中にいるだけで、私は疎外感を覚えてしまいました。
その他に会社をはじめとした一般社会では、建物や設備が歩ける人、筋力がある人向けに作られているので(最近は車いすの人にも配慮された造りの建物も多いですが)、困惑してしまいました。
- 書類の置いている場所や電気などのスイッチは歩ける人の高さに合わせて作られている。
- 扉を自分で開けない。(私は筋力が足りないのです)
- エレベーターのボタンが押せない。
今までは周りにいる人が当たり前に助けてくれたのに、声を発さなければ生きていけない状況になりました。初めの頃は「助けてください」と声を出すだけでも、かなりの勇気を要していました。心臓がドキドキして迷惑だと思われたらどうしようと思っていたのです。
私は社会に出て働くようになり、「こんなにも精神的に疲れるものなのか」と思いました。
まとめ
学生時代は明るくて積極的な性格をしていましたが、社会人になり、あまり声を出さなくなってしまいました。社会人として仕事を覚えることよりも、周りの人にお願いをしていくという勇気を出すことのほうが大変でした。
でも、このまま大人しくして過ごしていたら、いずれ仕事を辞めて引きこもり生活をすることになってしまうのではないか。不安になった私は「このままではいけない」と勇気を出すことにしたのです。
障害を持った先輩たちが声をあげて情報発信してくださったおかげで今の生活がある。そのバトンを引き継ごうと感じ、 車いすの私が違和感を覚えない社会にしていこうと自分も情報発信していくことを決意したのです。
Text by
Miku Sasaki
佐々木 美紅
脊髄性筋委縮症のため、電動車椅子。コミュニティFMラジオで番組を担当。十三年務めた旅行会社で、通勤とテレワークを経験。障害者の就労、恋愛、結婚、アルコール依存症の母と過ごした日々などを、発信。体は動かないが世界とつながりたい。NHK障害福祉賞優秀賞。ライターとして執筆にも力を入れている。