「支援者」と共に歩む道~障害者を支える「なかぽつ」とは?
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2022.4.22
「支援者」とは…
愚痴を聞いてくれて、アドバイスをくれて、今後の障害との向き合い方を一緒に考えてくれる。
ときには、僕の泣き言に図星を突くようなツッコミを入れてくれる、本当にありがたい存在。
執筆:マーチン Martin
今の支援者Kさんとの付き合いはかれこれ3年近くで、引っ越しや異動、支援機関の変更で5人目。
これまでの支援者さんの中でも一番長い付き合いになる。
現在、連絡の頻度は、僕からの近況報告や泣き言や相談をする時だけ。大体1ヵ月半に1回くらいか。「便りがないのは元気な証拠」という関係性。
自慢にしちゃいけないのかもしれないが、支援者さんに弱音や悩みはすぐに相談している。
支援者Kさんは相談に対して親身に寄り添い、励ましの言葉を掛けてくれる時もあれば、僕が冷静に把握出来ていない矛盾点を確実に指摘してくれるのは、本当にありがたい。
今の自分があるのは、妻と「なかぽつ」の支援者さんの存在抜きにはありえないと思っている。
通称「なかぽつ」
正式名称を「障害者就業・生活支援センター」という。
障害のある方の身近な地域において、就業面と生活面の一体的な相談・支援を行う支援機関で、国と都道府県 から事業を委託された法人が運営しています。
一般企業で働きたい障害のある方等や、障害のある方の雇用に取り組んでいる、これから取り組みたい企業の皆さまへの相談・支援を行っています。
ここに初めて連絡したのは2013年の夏前だった気がする。
ADHD炸裂で仕事がミス連発による、心身ボロボロになった僕はインターネットに救いを求めて、「岐阜県 発達障害」と検索した。
その数ヶ月前に予備知識無しで近所のクリニックに行くが、まともに相手にしてもらえず痛い目を見たので、どこにまずは相談すれば良いのかを学んだ。ちなみに、後でわかったが、メンタルクリニック・精神科ならどこでも発達障害に明るいという訳ではない。
僕が最初に駆け込んだクリニックは「あー、はいはい。最近多いんだよねー」とまともに話も聞いてもらえず一蹴された。
最近になって、もしかして自分の伝え方にも問題あったんじゃないのか?と思って、病院の口コミを見たら、僕と同じ体験をされた方が多数だった…
話を戻す。検索結果には県の発達障害支援に関するサイトが上部に出てきた。
そこに記載されていた、支援機関である「なかぽつ」こと障がい者就業・生活支援センターを初めて知ることになる。
さっそく電話をして、後日面談をすることが決まった。
支援者さんは穏やかなおじいちゃんだった。
・昔から落ち着きがなく学校の先生や親からよく怒られていたこと
・管理がめちゃめちゃで仕事がうまくいかないこと
僕は、とにかくノンストップで今に昔に生きづらさを感じる話を堰を切ったように話した。
支援者のおじいちゃんは電話のときもそうだったが、マシンガンで話し続けるこちらの話を遮らず、じっくり聞いてから答えてくれる人だったのが本当にありがたかった。
僕の話が終わって、次はおじいちゃんのターン。
早速、発達障害に明るい先生を紹介してもらい、今後の支援による道筋についても説明してくれた。
結局、地元のなかぽつから、県の障害者職業センターに支援の中心が移ったので、障害者雇用での就職が決まったときには別の支援者さんになっていたが、あのとき、僕の話をじっくりと親身に聴いてくれたおじいちゃん支援者さんのおかげで今がある。
最初のクリニックで絶望して諦めなくて本当に良かった。
日本の発達障害支援は意外に手厚く、豊富なサービスがある。しかし、たどり着くまでに自力で相当な情報収集や、いくつかの支援機関を訪れる必要があり、ハードルが高すぎるという難点がある。
不正利用や、事実関係をキチンと把握させておきたい役所の真面目さから来るものと頭では分かる。
でも、そこまでしないとたどり着けない支援なんて、支援を受けさせない様に、わざと煩わしくさせているんじゃないのか?と、意地の悪ささえ感じてしまう。
性格による支援者さんとの相性は会ってみないとわからない。それでも支援者は僕らの敵ではない。
先が見えない凸凹だらけの人生を走る僕らの伴走者として、きっと、力を貸してくれるはず。
支援者さんは、ときにトレーナーやサポーターやコーチとなってくれる。自分1人だけで走るよりかはよっぽど心強い。
それに、ふとした瞬間に支援者さんの存在を忘れて、自分1人で走り続けることが出来たらこっちのもんだ。
依存や人任せとはまた何か違う関係性。
自分が助けられた様に僕もいつか、当事者の秘めたポテンシャルを社会で発揮できる伴走者になりたい。
Text by
Martin
マーチン
1989年生まれの33歳、生粋の岐阜県民。社会人2年目の時に発達障害(ADHD/ASD)と診断され、障害者雇用にて再就職。8年間勤務後、障害者の就労支援職に従事している。2019年に居場所作りや情報共有の場として岐阜市にて発達障害当事者会「発達ワークスぎふ」を立ち上げ、私生活では二児の父として、色々しくじりながらも奮闘中!!