「休む」ってどういうこと?
枠にはめない、わたしなりの休み方
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2023.6.9
最近、休めないというお話をよくお聞きします。
心身ともにいっぱいいっぱいのとき、ひとは休むということが分からなくなるのかもしれません。
今回はわたしの「休む」お話をすこしさせてください。
執筆:山田 彩緒
布団に入ってから目が冴える…。
そんなときわたしは、今日一日に満足していません。
何かやり残したことがないか。達成感はあるか。先ずは自分を納得させてあげることから始めます。
三行日記は一日を振り返るのに丁度よいです。
わたしは日記ではなく詩を書くことが多いです。
今日行動したこと。今日の様々な感情。何もしなかったと感じたときもそのまま「何もしなかった」と書きます。
それで寂しいときは血圧、体重を書いて誤魔化したりもします。むかし病状が重かったときは、何故か寝るまえの薬を飲んだ時間を必ず書いていました。
こうして書いているうち、「記すことはしたなあ、明日は明日のやるべきことがあるなあ!」と納得しておやすみなさいすることが多いです。
頭は疲れているのに体が疲れておらず、休めないときがあります。
考えごとが波のように押し寄せ、未だ起こってもいない事態を想像して大きな不安を感じます。
先の先を考えている、徒労に似た頭の疲れです。
わたしは統合失調感情障害躁うつ型なので、日中動けるときはなるべく動いているのですが、具合が悪く「おうち入院」状態のことが多々あります。
朝から昼からパジャマで、外出もしないので夜はまったく寝付けません。でも、徹夜をする体力はありません。
そんなときは、気分を変えること。
休まなきゃ、の呪縛から一旦離れ、わたしは居心地のよい空間つくりに振り切ります。
ベッドシーツを交換し、寝床をとことん「自分好みに」変えます。サラサラのシーツ、ふこふこの抱き枕。
ぴかっと雰囲気が変わる頃、本人は微妙に汗ばみます。
ぬるめのシャワーで体だけ流すか、濡れタオルでさっと拭きます。机の上を軽く片付けたり。小一時間を目安に、体を動かし気分を変えます。
そうしているうちに、「できることはやったし!」とおやすみなさいできることが多いです。
休むって、なんでしょう。
時々考えます。
わたしは脳の働きや精神のことは語れるほど分かっていません。
ただ、意識的に自分を「休ませて」あげることはとっても大切ですし、それは人によって様々な、ほんとうに様々なかたちがあるのだと思います。
サンキャッチャーが光を反射する数分間に深く休んでいるひともいれば、買い物の帰り道に吹かれた風の一瞬に休んでいるひともいましょう。
わたしのように寝ることこそ至上というひともいるかもしれません。
枠にはめず、自由に体とこころを休ませてあげたいです。
明日がどんな一日でも、自分自身に期待して生きていけるように。