母と内縁の夫を亡くしてからもう一度立ち上がるまで
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2023.7.17
「死」という抗えない絶望に、真っ向から立ち向かうことはできませんでした。それでも、前を向くことで示したい何かがわたしにはありました。今回は、そんなちいさなお話です。
執筆:山田 彩緒
母の死も癒えぬまま、内縁の夫が亡くなったあのとき。
統合失調感情障害躁うつ型のわたしは、誰かに見張られているような感覚に悩まされるようになりました。
それは警察を呼ぼうかと思うほどにリアルで、夫の忘れ形見の犬猫がいなければ…自分一人のためだけに生きていたのなら、とうの昔に自分を見失っていたと今でも思います。
日記を振り返ると3カ月ほどその「絶望」は続いたようでした。
そして機械的に行っていたことは、結果としてわたしを回復させたことが、見えてきました。
6時に起きて18時に寝る
とても眠かったのですが、遺品整理など細々した諸用のため、寝たきりになることはありませんでした。
ただ、夕方になると寂しく、こんこんと眠りました。
たくさん寝ると自然に起きるので、無理のない睡眠サイクルが出来上がっていたと思います。
生活の順番を変える
もう夫はいないのだ、という現実は、わたしを打ちのめしました。
認めたくなくて、例えばシャンプーを変えたり使う食器を変えたりと、少しずつ生活を上書きすることにしました。
引きずることが辛いことなら、新しくしてしまえばいいと安易に考えたのです。
結果としてさめざめと泣く時間は少なくて済んだかと思います。
ベッドに持ち込んででも食べる
食欲はありませんでした。
希死念慮もあったので、食欲がないとほんとうに人は食べないし、動けなくなるのだと驚いたりもしました。
犬猫のお世話があるので、動けなくなっている場合ではありません。
朝昼どうしても食べる気力がなかった日は、小さな塩むすびをベッドに持ち込み、横を向いて寝ながらもそもそと食べました。
喉に詰まらせないだけの唾液が出ていたのは幸いでした。人様に勧めるかと今きかれたら、危険なので「NO」です。
正しく服薬する
日記には「全然悲しくないんです」とお医者さんに話した瞬間、悲しくなった。とありました。
自分で自分の感情がわからない、或いは感情が遅れてきた、という感覚だったのですが、わたしの主治医は薬を大きく弄ることなく、やんわりと「時薬だね」と言っていました。
夫を亡くすという大きな変化に対し、わたしは小さくも地道に変えてきたことが幾つもありましたが、薬が変わらなかったことは、面白いなぁと思うばかりです。
悲しみや絶望から、人は逃げ切ることができるのでしょうか。
全てを自己責任、自己管理と区切るのは、どうにも寂しいなと思うのです。
でも、わたしの悲しみや絶望を、他の誰かにまるごと理解してもらうのはとても難しいことです。それは家族でさえも。
不器用にでも立ち上がり、また前を向くことが、わたしには大切なことだと思えます。
今も、自分の取扱説明書を自分で更新する日々です。