強烈な車社会の中で見つけた、ちいさなしあわせ
歩くことで出会えた、四季、音、匂い…
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2023.8.2
わたしは車を運転することが出来ません。しかし田舎では車がないと生きていけないといいます。
出来ないことの多いなかで、わたしが選んだこと。そんなちいさなお話です。
執筆:山田 彩緒
通院は往復3時間。
人混みや、人と近接することで体が強ばり、ひどいと動けなくなってしまうわたしは、リュックを背負って徒歩で通院しています。
バスは病院の近くまで通っています。障害者手帳提示で割引もあり、とても魅力的です。「あれに乗れればな…」と思ったことは、一度や二度ではありません。
帰り道、タクシーを呼んでしまおうかとお財布を開けたことも。でも、ソッと閉じます。歩いて帰れば、その分のお金で他のことが出来るのですから。
スーパーも、美容院も、コンビニも、徒歩30分以内で行けるところはありません。
処分するときのことを考えると、原付も手をだせません。
朝の、昼の、夜の、田舎を歩いていると、思わぬ近道を発見したりもします。誰にご紹介するわけでもありませんが、生活をしているとそんな些細なことが嬉しいです。
どうしてそんな不便な処に住み続けるの?引っ越そうよ!とお話しされるかたもいらっしゃいます。
わたしは諸事情で空き家になった実家に住んでいます。犬と、猫と。
思い出の沢山つまった実家を人に渡したくないという思いから、こうして住んでいますが、自分がこんなにも人との「距離」に敏感になるとは思いませんでした。
夫のときも、親しくなった詩人さんのときも、車で助手席に座るわたしは、左側にグッと力を入れてしまうのです。
お医者さんに相談したところ、頓服でお薬を処方していただけましたが、眠気が強く出て結局やめてしまいました。
わたしは遠くへ行けません。行くときは、症状…体に力が入ることを、考えず、体が痛くなったら鎮痛薬を塗り、誤魔化し誤魔化しの行脚です。
どこへでも行こうと思えば行けたよ。
車も平気だったよ。
昔のわたしが言います。
そうだね、と今のわたしが頷きます。
わたしはこの田舎で暮らすことを選びました。自分の障害については、じれったいなあとこぼしつつ付き合っています。
不便、という言葉からはみ出したよいところが、きっとあると思います。
歩かなければ知らなかった四季があり、音があり、匂いがあります。
動くことは、その後のお食事が美味しいこと、そのことを強烈に教えてくれます。
明日の自分へバトンタッチする就寝前。いつもちょっぴりつよくなった心持ちがするのでした。