与えられた環境で生きていくだけでなく、生きやすい環境を見つけるために動くことも大事
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2022.10.20
左半身麻痺の体では生活や仕事など、いろんな面で不便を強いられることも多くあります。今回は住まいや土地柄について、そしてこれから先この土地で生きて続けていくのかどうかについて書いていきたいと思います。
執筆:市川 潤一
急性心筋梗塞の手術の合併症による脳梗塞から、左半身麻痺になった私は、一命はとりとめたものの、その後の人生でさまざまな制約や生きづらさを抱えることになったことは、これまでもこちらで書いてきました。
この体では生活や仕事など、いろんな面で不便を強いられることも多くあります。障がいを負った私たちのような半身麻痺の人間にとって、住まいや、土地柄などの環境は非常に重要です。今回は私がこれから先、この土地で生き続けていくのかどうかについて書いていきたいと思います。
以前も書きましたが、障がいを負った後に、生活の基盤があった土地である愛媛県を離れることになったので、最初は不安でたまりませんでした。
生まれ育った長崎県に帰ることになったとは言え、学生時代と社会人時代をほとんど地元で過ごしていないので、近くに頼れる友人はほとんどいません。父を早くに亡くしており、病気持ちの母しかおらず、親族もほとんどいない状況で「どうやってこの体で生きていけるだろうか」と頭を悩ませていました。
正直なところ、勝手知ったる、元の土地のほうが友だちもいるし、仕事柄知り合った福祉関係の知人もいました。だから「助けてくれる人もいない地元に戻りたくない」と思っていました。
しかし、頼る人はいなくても、地域差はあれど、今の日本なら、障害者でもなんとか生きていけるようになっているようです。
地元に戻ってくると、元いたところの病院から連絡が入っていたのか、すぐに地域包括支援(※以下、略 包括)センターの方と、社会福祉協議会(※以下、略 社協)のケースワーカーの方が訪ねてきてくれました。
入院中から自分の身体状況は理解できていて、社会復帰は簡単にいかないだろうという自覚はありました。「まずは生活や自営業時代の支払いをどうにかしないといけない」と思い、障害年金の申請ができるのかどうかの相談をしました。
社協も包括もこういう制度的な部分での相談では非常に頼りになるのですが、実際にその土地で生活していくとなると、少し意味合いが変わってきます。
住まいに実際に手すりをつけるなどの、本当の意味で住環境を住みやすくしていくリフォームとなると、福祉用具業者などが重要になってきます。
ここにも得手不得手はあるようです。私が以前風呂で転倒した際に、担当者会議で風呂の改修が議題に上がりました。私が利用している福祉用具業者からは、私の家の風呂では築年数の長さから来る耐久性の弱さによりできないと断られたことがあります。
結局、自宅の風呂の改修をするのではなく、デイサービスを利用してそこで入浴をさせてもらうようになり、それは現在も続いています。
また、私の家は谷底のような場所にあり、安全のために家への出入りの階段に手すりを付けようとした場合にも、地主の許可はとっているのにも関わらず、土地の調査が行われるなど、結局手すり設置までに一ヶ月以上を要したこともあります。
このように実際の障害者の生活の現場が見えていなかったり、仕事として見た場合にスピード感がなかったりするのは、私の街の福祉行政の遅れとも言える部分で、「このような福祉行政が遅れている街で今後も暮らしていけるのだろうか」と不安になるところもあります。
とはいえ、悪い部分ばかりでもなく、以前も書きましたが、私の街は基地の街ということもあり、アメリカを中心に海外出身の方が多く住んでいます。
海外の方は多様性に対する教育や指導が日本よりも充実しているのでしょう。私のような障害者にも気軽にスマートに手を差し伸べてくれる人が多いように思います。
最初に、頼る人もいない地元に戻るのは嫌だったと書きましたが、この部分は、嬉しい誤算で、助かった部分でした。
しかし、それとこの土地で生き続けていくというのは少し違うことかなと思っています。
こういう体になって、いろんな人にお世話になってきたという部分はたしかに謙虚に感謝しなければならない部分です。
障害者、健常者関わらず、全ての人にとって住みやすい環境というのは、それこそ、人の数だけあることでしょう。これからも人のお世話になり続けて生活をしていくというのもちょっと違う気がしています。
福祉行政などの制度は利用させてもらいつつも、どっぷりと人に頼るのではなく、自分が生きやすい環境を見つけ、制度を利用しながらも、できるだけ独立・自立して生きていける環境に身を置くことも、私たち障害者には必要になってくる試練なのではないかと思います。