3人の子供がいる重度障害者の僕が育児の中でできること
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2024.2.24
前回は、ハンディキャップを抱える僕が家族の中でどのような家事分担をしているかについて書かせていただきました。僕が家族の中で行っているのは家事だけではありません。僕には3人の子供がいるので、子供たちの育児も大切な役割なのです。
執筆:山田 稔
僕は30歳のときに脳出血が原因で左手と左足が動かなくなりました。身体だけではなく、高次脳機能障害という脳の障害も抱えています。
前回は、ハンディキャップを抱える僕が家族の中でどのような家事分担をしているかについて書かせていただきました。
僕が家族の中で行っているのは家事だけではありません。我が家には3人の子供がいるので、僕は子供たちの育児も家庭内の大切な役割なのです。
3人の子供を持つ僕ですが、20歳の長女と19歳の長男は奥さんの連れ子、小学1年生の次男は再婚後にできた子供です。
僕の育児の中で大きな役割を占めているのが、一番手のかかる下の子の寝かしつけと起こすこと、あとお風呂や歯磨きなどです。休日は子供の朝ごはんの準備もしています。
育児も僕の家庭内の大切な役割です。ここでも重度障害者であることは関係ありません。出来ることはやらなければならないのが我が家の方針なのです。
子育てについて、僕にはもう一つとても重要な役割があります。それは子供たちの勉強や宿題を見ることです。
僕が奥さんと結婚したとき、長女は中学1年生で長男は小学6年生でした。長女や長男にとっては、思春期の真っ只中に突然身体障害者の父親ができた上に一緒に住むことになったのです。今考えても、これはかなり難易度が高いことな気がします。
そんなときに、僕が勉強を教えられるということは二人との距離を縮める上でとても役に立ちました。
僕は障害を抱える前に10年以上学習塾の講師として仕事をしていた経験があります。高次脳機能障害の特徴の一つである記憶障害がありますが、勉強のやり方や問題の解き方については今でも体に染みついて残っている能力があるのかもしれません。ある程度ですが、勉強のやり方や解き方を教えることが出来るのです。
勉強を教えると言っても、僕は特に「英才教育がしたい」とか「偏差値の高い学校に行ってほしい」という考えを持っているわけではありません。
僕は30歳のときに重度障害者となり命を落としかけました。そのこともあってか基本的には 「生きてるだけでまるもうけ」と思っています。
ただ、やりたいことや自分の目標が見つかったときに、しっかりとそのスタート位置に立てることが大切だと考えています。そのためにも、義務教育の間は少なくとも6~7割程度の学習理解度であってほしいと思っています。
このような経緯があり、今も僕は小学1年生の息子に宿題や勉強を教えています。育児の中でも学習面の割合は妻よりも僕のほうがウエイトを大きく占めているかもしれません。妻もその部分は僕に任せてくれています。
ここまで僕自身のことについて書いてきましたが、家族単位で言えば長女や長男にも役割分担はあります。
長女はすでに就職して実家を出たため普段は家にいませんが、年に数回帰ってきます。そのときはしっかり兄弟たちの甘やかし役をやってくれていますし、兄弟もそれを楽しみにして喜んでいます。本当に大切な役割を担ってくれていると感謝しています。
長男は就職してますが、今も一緒に住んでいます。 長男は半身麻痺を抱える僕の代わりに力仕事を引き受けてくれたり、次男の遊び相手になってくれたりしていて、本当に助かっています。
結婚当初、重度障害者の僕は「障害があっても立派な父親にならなければいけない」と気負っていました。
今の我が家を振り返ってみると、妻は家族全体を見て僕を含めみんなの教育係をしてくれています。子供たちは重度障害のある僕を見ながら思春期にいろいろ考えたり悩んだりした時期もあったとは思います。それでも、僕を常に横目で見て、ダメな部分は反面教師としながら、自分なりの家族の中のポジションを見つけて担ってくれているように感じています。
現在の日本では、家族に何かしらハンディキャップを抱えた人間がいるということはさほど珍しいことではなくなってきたように感じます。
そんな時、僕のようにハンディキャップを持つ人のいる家族では、出来ないことばかり見て悲観するよりも少しでも出来るようになったことをなるべく大げさになるべくみんなで喜べることが日々の幸せを感じるための秘訣かなと思っています。今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。