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障害者になってから感じたことと、気持ちの変化。

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2022.3.26

私は40歳を過ぎてから心筋梗塞で倒れて救急搬送されて、手術の合併症の脳梗塞の結果、左半身麻痺となりました。今回は中途障害者の私が障害者になってどう感じたか、どういう思いをしてきたか、どうやって気持ちの上で自分を取り戻そうとしたのかということについて書いていきたいと思います。

執筆:市川 潤一

私は40歳を過ぎてから心筋梗塞で倒れて救急搬送されて、手術の合併症の脳梗塞の結果、左半身麻痺となりました。これまで、障害者になった経緯やリハビリについて書いてきましたが、今回は中途障害者の私が障害者になってどう感じたか、どういう思いをしてきたか、どうやって気持ちの上で自分を取り戻そうとしたのかということについて書いていきたいと思います。


私は脳梗塞の手術後も比較的頭はクリアだったこともあり、自分がおかれた状況を自覚できました。頭がクリアである故に、こういう体になってしまったことにまずは絶望し、病院の職員はもとより、脳外科の主治医、そして特にカテーテル手術を行った循環器科の執刀医にはとにかく当たりちらしました。

「こんな体にするくらいならきっちり殺せよ。」と巡回の度に言っていました。

その度に、いろんな人から「生きていただけよかったじゃないか。こんな体になったのも何か意味があるんだよ。受け入れろ。」などと言われましたが、そう言う人の言葉は一つも心に響いてきませんでした。

「障害を負う意味ってなんだよ?自分らが手術に失敗したからこんな体になったんじゃないか。」といつも思っていました。

障害を負うと、当事者が障害を受け入れられるかどうかの「障害受容」というものがよく議論されますが、正直なところ、私は未だに受け入れられているとは言えません。

それはそうです。私のような中途障害の者は、自分が健常者だったころのことを覚えています。その感覚で動いたり、何かをしようと思っても、できないのですから、「なんでこんなことも出来ないのか。」と、常に気持ちがイライラしている状態でした。

誰も好き好んで障害者になる人はいませんし、以前の私を知っている人に「あいつは終わった。」と思われたくないという思いも非常に強かったです。きっとこういうことになって、関係が良くなかった同業者はほくそ笑んでいるのだろうと考えると、毎日悔しくてたまりませんでした。

受け入れられるのは、障害者になっても今までの生活を変えること無く生きていける家庭や職場をはじめとした環境や保障が整っている人だけなのではないかと思ってしまいます。

よく見舞いに来た友人や会社の人に、「障害も個性だから」などと言われましたが、「障害は個性、生きていただけもうけもん」という言葉は今でも大嫌いな言葉です。

そのたびに「何が障害は個性だ。誰がこんな生きにくい体を個性だなんて思えるか!」と憤っていました。

見舞いに来た人や会社の人からは、「ただでさえ、常に屁理屈ばかりこねるくせに、障害者になってさらに面倒くさくなったなぁ。」と思われていたかもしれません。

そんな調子の時に、中学時代からの悪友からメッセージアプリで様子を尋ねるメッセージが来ました。その中でこれまでたくさん言われてきたような「死なずにこうやって連絡をとれるようになってよかった。」という一文があり、頭に血が上ってしまいました。

「気安く生きていただけ良かったとか言うな! 自分じゃないからいくらでもそういうきれい事言えるよな」と返したところ

「そういういじけたような態度は面倒くさい。お前は、面倒くさいと思われるような障害者にはなるな。」と言われて、今までみんなにこう思われていたのかもしれないと、ハッとさせられました。

この悪友の言葉で少しだけ冷静さを取り戻し、「この体でどうやって生きていこう。今までのように好き勝手に生きていくためにはどうすれば良いだろう。」ということを入院中の腐るほどある時間を使って考えていくことになりました。


私はとにかく仕事に復帰したかったので、ベッドの上から、仕事上の繋がりがあった人に連絡を取りまくっていました。

その中で、「仕事仲間への感謝が今まではまったくなかったな。正直、お互いを利用していただけだったな。」ということに気づかされました。

私のように半身麻痺の障害を負うと、できないことがたくさん出てきます。入院先でも同室の自分と同じような症状の人たちが、自分の体が自由にならず横柄な態度をとっていました。

私も散々悪態ついてきたのであまり大きな声では言えませんが、他の人たちを見ていて、できないことを手伝ってくれる周りの人に感謝し、謙虚にしなければならないと感じるようになってきました。

それは仕事仲間をはじめ、こういう体になった自分をサポートしてくれる周りの人たちにも言えることだなと思いました。

障害者だからと言って、必要以上にへりくだったり、恐縮する必要はないけれども、最低限の周囲への感謝とリスペクトは持ち合わせておかないと、どんどんおかしくなって、自分を見失っていくということを障害者になってから学んできたように思います。

1975年生まれ。長崎県佐世保市出身・在住。愛媛県でライター・編集者・カメラマンなどとして活動していたときに脳梗塞になり、左半身麻痺の身体障害者となる。取材活動ができなくなり、ライターを廃業。障害者雇用の在宅ワーカーとなり現在に至る。障害者の仕事の仕方や見つけ方など自分の経験を紹介していきたいと思います。

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