障害を負ってしまっても、自分らしく生きていくための心の支え。
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2022.5.31
左半身麻痺の障害を負ってから、できなくなったことがあります。生活は一変し、絶望的な状況に追いやられました。今回はそんなときでも、自分らしく生きていくために思い続けてきたことや、心の支えにしていたことについて書いていきたいと思います。
執筆:市川 潤一
私は心筋梗塞の手術の合併症で脳梗塞となり、左半身麻痺の後遺症があります。
これまでも、半身麻痺になってできなくなったことや、生活が一変したことなどについて書いてきました。
今回はそんな絶望的な状況に追いやられたあとも、自分らしくいきていくために思い続けていたことや、心の支えとしていたことについて書いていきたいと思います。
以前の記事では書き損ねていたのですが、できなくなったものの中に、病気になるまで続けてきた編集者やライターの仕事がありました。
私は周りからもワーカホリックと言われるほど仕事が楽しくて、好きで続けていましたので、こういう体になったときは、「もう仕事はできないだろう。人生終わった…」と心が折れました。
それでも、何か書く仕事や活動はしたい、雑誌やメディア、広告作りに携わりたいという気持ちは大きく、それが心の支えになっているところもありました。
また、私は病気をしてから仕事や生活をしていた土地を離れて地元に戻りましたが、地元には頼れる友人(私の地元はほとんど高校卒業後は地元を出て行きます)や親類、仕事仲間などがいませんでした。
元いた土地の友人や仕事仲間が気にかけて連絡をくれ、時には今の体でもできる仕事を回してくれることもありました。そういう人たちの存在も心の支えになっていました。
友人や仕事仲間は入院中もよくお見舞いに来てくれたり、いろいろお世話をしてくれたりしたので、そういう人たちに対しては、できるだけ義理を欠かさないようにしようと心がけています。
「これくらいはできるようになっていますよ」という意味と生存確認も兼ねて、自分でデザインソフトを使って作った季節の便りだけは出すようにしています。
「いつかまたその人たちの役に立ちたい。仕事を任せてもらえるところまで以前の感覚を戻したい。また一緒に仕事がしたい。」というのが、今の生活の中でのモチベーションになっている部分があります。
今は以前とは違う仕事をしていますが、以前くらいの仕事量をこなし、考えながら作業ができるようになっておかなければと思っています。それに合わせて、さまざまなインプットを増やしていっている状況です。
また、以前は仕事柄、住んでいる土地のことをよく知っていましたが、地元に帰ってきてみて、地元のことを何も知らないということに気づきました。
「人が遊びに来たときに、名所や美味しいお店を紹介出来る程度にはなっておこう」と、リハビリウォークも兼ねていろんな場所に出向き、自分の目と足と舌で調べるのも楽しみのひとつになっています。
そういうことを通じて、当事者から見た街のバリアフリーガイドなども作ることができればなどとぼんやり考えています。
タバコやアルコールなどの嗜好品が好きだったこともあり、それらに代わるものもよく探していました。
お酒の代わりにはコーヒー、タバコの代わりにはベイプなどのニコチンやタールが入っていない電子タバコに興味をそそられ、いくつか試してみましたが、一般的なベイプはリキッドの補充や点検・清掃などの手間があり、片手では操作が難しいことも多く、長続きしませんでした。
なので、使い捨てタイプの充電がいらない電子タバコをたまに使用しています。ベイプの場合は煙ではなく、加熱した水蒸気をタバコのように吸って吐くというものなので、タバコを吸っている感覚に近いものは体験でき、脳もうまくだませている気はします。
また、私は音楽やアイドル等も好きで、一緒にライブに参加していた仲間などもいました。まだ実現はできていませんが、またみんなで参加したいという思いもあります。
障害者になったときには、気持ちがどん底にまで落ちましたが、またかつての仲間たちと仕事をしたい、新しい嗜好品を見つけたい、みんなでライブなどのイベントに参加したいという気持ちを強く持つことで、変な気も起こさずにすみました。
それらを心の支えやモチベーションとして生きていくことで、なんとか今まで乗り切ってこられた気がします。