統合失調症の私が考える回復とは?
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2022.11.23
「病気の前の元気な自分に戻りたい」
何度もそう思ったことがあります。
「病気の前」に戻るのが回復だと信じていた私。
でも、今は違った心境です。
今回は私の考える「回復」についてお話ししたいと思います。
執筆:大福 麦子 daifuku mugiko
病気になる前の状態に戻りたくて、医者が止めるのも聞かずに無理して働いていた時期が私にはありました。
病気になって職を失った私にとって、「働く」ことは病前に戻ることを意味していました。
精神の病のことも、統合失調症のことも何も知らず、縁もなかった昔の元気な私。
そんな自分に戻りたくて必死でもがいていました。
病後フリーターとして働いていたある春の日。
散歩していた通りに満開の桜が咲いていました。
まるで春の訪れを喜び、溢れるように咲き誇っている桜を見て、私はどこか遠い世界のことのように感じていました。
「病気になんてなりたくなかった」
「桜が咲いていても喜ぶことすらできない」
そんな風に思いながら「来年こそ桜を見て喜べる自分を取り戻そう」「あたたかな気持ちで春を迎えられるようになろう」と誓ったのを憶えています。
今、私はあの時の自分に言ってあげたいです。
「きっと、大丈夫だよ」と。
統合失調症になって変わった5つのこと
統合失調症になってできなくなったことはたくさんあります。
病気の療養のせいで時間も失いました。
けれど、病気になって変わったと思う良い点もあるのです。
私が病気になって変わったと思うのは以下の5つの点です。
- 1.人は支え合いながら生きているということを実感できるようになった
- 2.当たり前な日常に感謝できるようになった
- 3.健康であることの大切さがわかるようになった
- 4.自分らしく生きられるようになった
- 5.精神の病に苦しむ人々のことを共感を持って考えられるようになった
これは病前の自分にはなかったことです。
病気の症状がない自分にこだわっていましたが、病気じゃなかったら気が付かなかった大切なことに気が付いたのは成長だと感じています。
病気になって得たものと失ったもの、両方を天秤にかけてみたらどちらの方が重いでしょうか?
人生は意外とプラスマイナスゼロかもしれませんね。
統合失調症の私が考える回復とは?
病気の症状がないに越したことはありませんが、病気の症状があったからと言って決して不幸とは限らないと私は思います。
大切なのは症状を消すことそのものよりも、病を抱えながらなりたい自分や人生のために、どう主体的に生きていけるか。
または自分の人生において、病気や障害にどういう意味を持たせていくかだと思うのです。
「病気や障害のせいで人生の可能性が閉ざされてしまった」
私はそう考えていたことがあります。
実際そういう見方もできます。
けれど、病気になって失ったものはありますが、得たものもあるはずです。
病気でなければ経験できなかったこと、それは健康であったら経験できなかっただろう人生の深味です。
病気が私の人生を耕してくれて、新たな種を植えてくれました。
病気によって新たな人生の可能性を開いていくことができたと思っています。
「回復」とは病気になったからこそできる新しい生き方を模索していくことかもしれません。
病や障害を抱えながら、より良い人生を目指して
病気や障害といっても様々です。症状の重い軽いもあります。
けれど、どんな障害のどんな症状の人でも、きっとその人でなければ歩めない道がある。
私はそう考えています。
病気になったからこそできる、新しい生き方を肯定していきたい。
病気の喜びや悲しみを抱えながら、つまづきながらでも前を向いていきたい。
障害や病気があっても「大丈夫!」そう言えるように。
私には目標があります。
「自分らしく生きるためにこの病気になった。」「大変だったけど、それ以上に豊かで幸せだった。」そう病気に感謝して、胸を張って死ぬこと。
「病気があったとしてもあの人のように生きたい」そう思って貰える生き方をすることです。
これが私の回復の最終ゴールだと思っています。
なかなか上手くいかないこともありますが、それでもより良い人生を目指して、これからも一歩一歩私にしか歩めない私の人生を歩んでいきたいです。
まるで冬を越して咲いたあの桜のように、障害があっても満開の人生の花を咲かせたい。
今はそう思っています。