全盲の私の生き方に影響を与えてくれた3人
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2023.1.19
私は全盲の視覚障碍者です。今回は、私の生き方に影響を与えてくれた3人について書いてまいります。家族、学生時代からの親友、そして、社会人になってから出会った方の3人です。
執筆:小川 誠
私は全盲の視覚障碍者です。私はこれまで、いろいろな方たちの生き方や考え方に影響を受け、ここまで歩んできました。思い返してみると、様々な場面で出会った方たちから、多くの学びを得てきたのだなと感慨深くなります。
今回は、私に影響を与えてくれた3人について書いてまいります。
子供のころに母からもらった言葉
小川家にとって、分かっている系図では私が初めての障碍者だと思います。
先天性の視覚障碍者として生まれた私をどのようにして育てていけばいいか、家族は全くと言っていいほどわからなかったと思います。
私が子どもの頃、たしか、ちょうど弱視から全盲になったばかりの頃でしたが、人にぶつかって謝らなかったことがありました。
そのとき、母から「なんで謝らないの?」と聞かれ、私は「見えないんだからぶつかってもしょうがないだろ」と言ってしまったのです。
母は、「うん。そうだよね。でも、相手にケガをさせてしまっていたらどう?もし、そうだった場合、見えないから仕方ないでは済まされないんじゃないの。だから、ちゃんと謝らなくちゃいけないと思う。」と諭されたのです。。
このとき、「障碍の有無に関わらず、自分に非があるときは、ちゃんと謝罪しなくてはならない」ということを子どもながらに学びました。
母に教えてもらったことをすぐに体得できたわけではありませんが、少しずつ不可抗力な場合であっても「見えないんだからしょうがない」とは、考えないようになっていきました。
学生時代の友人から感じた生きるということ
私が盲学校の高等部にいたころ、一人の親友ができました。
彼は全盲で、幼少期に脳腫瘍を患ってから何度も手術を繰り返していて、飲み忘れたら命にかかわるような薬を毎日何種類も服用していました。
社会人になっても彼とは交流があったのですが、9年前に脳腫瘍を再発してこの世を去ってしまいました。
その親友と一緒にいると、「しっかり生き抜いてやるんだ」という気概を感じたのです。
彼は、生前いろんなことにチャレンジし、9年前に入院していたときにも「退院したら、またサウンドテーブルテニス(※視覚障碍者の卓球)をやろう」と約束をしていました。
亡くなった直後は心の中に空洞が出来たような感じがしましたが、生前の彼を思い出すと少しずつ元気を取り戻すことができました。彼からは、生きるという気持ちの強さ、そして、生きている間はいろいろなことにチャレンジするということを教えられたのです。
「一日一生」という言葉は、私が生きていく上での基本となり、自分の人生をさらに実りあるものにしていきたいと考えるようになりました。
社会人なってから得たもう一つの気持ちの持ち方
社会人になってからも、自分の生き方について考えさせられる出会いがありました。
私が盲学校を卒業後、数年間暮らしていたアパートの大家さんです。
アパートから引っ越す際、その大家さんにご挨拶に行ったとき、こんな言葉をかけてくれました。
「成功すればそれはいいことだけど、たとえ失敗しても、それはあなたの人生にとって役立つもので、成長させてくれるものだから、どんなときも下を向かずに自信を持って人生を歩んでいってね。」
この言葉は、当時20代前半だった私の胸に深く刻み込まれました。
「新しい仕事にも積極的に取り組むようになったのは、この大家さんの言葉のおかげだな」といつも感謝しています。今、私が人生を歩んでいく上での原動力になっていることは間違いありません。
まとめ
これまでの人生でたくさんの方に出会いました。中には「この人に出会えたから、今の自分があるんだな」と思えるような方もいました。
今は、私も、自分の言葉を誰かに伝える、語りかける立場にあります。これは、相手の人生に対し、多かれ少なかれ影響を与える可能性があるということです。
もちろん、その相手にもそれまで歩んできた人生がありますので、何かを伝えたいときには相手を傷つけないように言葉を選ばなければいけません。
社会に向けて発信することを考えると、言葉をもっと大事にしていかなくてはならない、そしてその言葉に責任をもたないといけないと自分自身に言い聞かせているところです。
今後もたくさんの人との出会いの中で様々な人生観に触れながら、自分が持つ言葉を磨き、人の心としっかり向き合って語り掛けていければと思っています。