しんどい日には、山に登る。一日で22㎞歩いたときの記録。
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2023.6.10
仕事に疲れたとき、人間関係にうんざりしたとき、人生が行き詰まったとき、私はふと「山に行きたい」と思う。しんどいときに自分を回復させるアクティビティを見つけられたことは幸運だ。今回は、高尾山から相模湖まで一日で22㎞歩いたときの記録。
執筆:森本 しおり Morimoto Shiori
しんどいことが続くとき、私は山に登る。
以前、「なんでわざわざ休みの日にそんなしんどいことするんですか?理解できない。」と言われたことがある。
たしかに、登山は登りも下りもキツイ。息は上がり、足が痛くなり、疲れる。山の天気は変わりやすいし、最悪の場合、事故や怪我の危険性もある。嫌な人にとっては、ただの苦行でしかないと思う。
それでも、仕事に疲れたとき、人間関係にうんざりしたとき、人生が行き詰まったとき、私は「山に行きたい」と思う。歩いているうちに、悩みや不満は汗とともに流れていく。日常から離れた遠い場所に行って戻ってくると、自分をザブザブと丸洗いしたような感覚になる。
今回は、高尾山から相模湖まで一日で合計22㎞歩いた日の記録。
そうだ、山に行こう
ここ半年くらい「え、厄年?それとも大殺界?」というくらい大変なことが続いていた。多少のアップダウンはあるものだとしても、今回はすごかった。「もう、無理!」と何度もなった。
疲れすぎて「遠くへ行きたい…」状態だった私は、山に行くことにした。場所は何度も登ったことのある高尾山。自宅から電車で二時間弱あれば行ける山だ。
朝の8時半に高尾山の入り口に到着。
「せっかくなら、これまで通ったことのないルートにしよう」と思い、コンクリートで舗装されたルートではなく、山道らしいルートを選んだ。
久しぶりの登山だ。前日に雨が降った影響で、足元はぬかるんでいる。急坂ではないけれど、少し息が上がってくる。
高尾山は初心者向けの山。ルートを変えても、そこまで登頂までの時間は変わらない。10時前には頂上に着いてしまった。
晴れていればもっと遠くまで見えるけれど、この日は少し曇っていた。この景色を見るのも、5回目くらいなのでそこまでの感動はない。
10時前でも頂上は人でいっぱいで、座るスペースを探すのも一苦労。用意していた水はすでに空になっていたので自動販売機でペットボトルを追加で2本購入した。
やっと休めるスペースを見つけて水分補給をしながら考えた。さて、これからどうしようか。今から下山したら午前中には駅に着ける。2時間かけて来たのにそれはもったいない気がする。
よし、せっかくならこのまま隣の山の小仏城山に登ろう。調べてみると、ここから1時間もすれば頂上に着けるはず。
ところが、この道はけっこうハードだった。想像していたよりもずっと急な坂や階段が多い。アップダウンの連続で足がガクガクになってしまった。
登山は登りの方がキツイと思われがちだけれど、意外と下りの方が怪我は多い。前日の雨の影響もあって、何度も足を滑らせて転びそうになった。
高校生の頃に怪我をした右ひざがズキズキ痛み出した。「途中で歩けないくらい痛みが強くなったらどうしよう」と不安になる。
11時頃に休憩所で休みながら「もう、引き返してしまおうか」と迷った。知っている道の方が確実だ。
戻るルートと、先に進むルートを検索していたら急に友人からLINEが来た。「もう、引き返そうかな」と弱音を吐いたら「同じ景色はもったいないから、頑張って先に進んで」と言われた。
たしかに。ここまで来た道に戻るとしてもあの坂や階段を上らなくてはいけない。どちらを選んでも大変なら、新しい道を行く方がいい。
「遠い」と思っていた距離でも、足を進めていれば、いずれたどり着く。大丈夫、道はつながっている。
先に進んでいくと、人がぐっと減ってきた。
うっそうとしげる緑に囲まれて、見渡す限り人がいなくなったとき「私は人に疲れていたんだな」とふと思った。福祉の仕事をしていると、人との関わりは避けられない。人間関係に疲れて、うんざりして、人の少ない山に来た。
これまでも、何度か似たような経験はあった。これは対人支援職によくあることなのか、それとも私の適性のなさから来るものなのかはわからない。とにかく、人から離れたくなる。
「何が嫌だったのか」に気づけたことで楽になった。 私は「山に来てよかった」と思えた。
登り始めて約3時間。11時半に小仏城山の頂上に着いた。
人がたくさんいる高尾山と比べて、静かだった。達成感がジワジワと湧き上がってきた。途中で諦めなくてよかった。引き返していたら、この景色は見られなかった。タイミングよくLINEをくれた友人に感謝しなくては。
茶屋に寄って、何か暖かいものを飲もうと、コーヒーと迷った末に、おすすめメニューのなめこ汁を頼んだ。
美味しい。トロリとしたすまし汁の中に、なめこと豆腐が入っていた。だしの味が染みわたる。一口飲むごとに、身体が暖まっていく。
近くに立てられていた看板を見ると、駅まではまだ1時間半くらい歩く計算だった。右ひざが痛むので下りの時間はもっとかかるだろう。
登りは景色に感動して、いちいち足を止めて写真を撮ったりしていたけれど、下りはひたすら前に進むだけだった。考え事も頭によぎらない。足を滑らせないように気を張りながら、歩いた。
足を痛めている私のペースは遅い。後ろからどんどん人に抜かされる。途中で小学生くらいの親子連れに抜かされて、あっという間に見えなくなってしまった。小学生、速い。
看板によると40分の予定だったが、倍くらいの時間をかけて下山した。
下山してバス停で時刻表を確認したところ、次のバスは30分後だった。待つことが苦手な私は次のバス停まで歩くことにした。
足を進めていくと、相模湖が見えてきた。
「きれい!」と思わず声が出た。その日、一番の眺めだった。
もしかしたら、つらければつらいほど、景色に感動するのかもしれない。我慢のあとのご褒美なのだろうか。しばらく川の音を聞きながら、景色を眺めた。
きれいな景色を見ると、少し回復する。「もう少しだけなら歩こうかな」という気になる。
「疲れたら、途中でバスに乗ればいい」と思っていたけれど、結局、駅まで歩いてしまった。途中で休憩はしたものの、ほぼ動きっぱなしの6時間だったので、駅に着いたときは心底、嬉しかった。
ホッとして、駅前のお店でかつ丼を食べた。
控えめに言って最高。この世で一番のご馳走だった。
スマホの万歩計を見てみると、この日は約3万歩、合計22㎞歩いていた。高尾山から相模湖までのコース自体は11㎞だったはずなのに、遠回りしたからだろうか。標高差もあったことを考えると、普段、何の運動もしていない私が歩く距離じゃない。最後は右足を引きずりながら帰宅した。次の日、右ひざは炎症を起こしていなかったので結果オーライだが、無茶をしすぎた。
登山の途中は「痛いししんどいし疲れるし、もう山はいい。早く帰りたい。」と何度も思ったけれど、これから先も私は山に登るのだろう。
登山の前は、悪いことが続いて心の余裕がなくなっていた。今の状況から抜け出したくても、どうすればいいのかわからず、弱気になって縮こまっていた。頭が空っぽになるまで歩き続けることで、少しだけ息をしやすくなった。
登山は色々なことを教えてくれる。目的地には自分の足で行くしかない。ゆっくりでも前に進めばいつかはたどり着く。頑張ったあとには最高のご褒美が待っている。
きっと、誰でもずっと同じ場所にいると窮屈に感じて息苦しくなることがあるだろう。そんなときに、旅に出る。遠くに行って戻ってくる過程で、日常の中で積もってしまった何かを洗い流す。
日常から離れられるなら他のことでもいいのかもしれないけれど、私にとっては山登りだ。山に登って、下りる。この過程を繰り返して、私は何度も山に救われる。