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友達って何だろう?発達障害の私の中で「友達」の認識が変わった話

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2023.7.1

若いころは、何気ないメールやLINEをいつでもできて、電話もして、時間があればいつも一緒にいるのが友達だと本気で思っている時期がありました。今回は、どこか人とズレてしまう私の人間関係と、ズレていることに気付き始めた後の私の人間関係についてお話したいと思います。

執筆:とくら じゅん

こんにちは、とくらです。

「友達って、どこからが友達なのだろう」と悩んだことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

若いころは、何気ないメールやLINEをいつでもできて、電話もして、時間があればいつも一緒にいるのが友達だと本気で思っている時期がありました(どう考えても重い)。

そんな人はもちろん居なかったため、自分には友達がいないと思っていたことも。

他の人が築いている一般的な人間関係についてよく知らなかったことが原因だと思いますが、勘違いをしていました。

今回は、どこか人とズレてしまう私の人間関係と、ズレていることに気付き始めた後の私の人間関係についてお話したいと思います。

ずっと一緒にいるのが友達?


中学から大学までの友達と言えば、同じ学校の子。毎日同じ学校に行き、放課後に遊んだりしていたので、ほとんど間を空けずに会っていました。

特に大学時代は、特定の友達と学校で会ってから一緒にご飯を食べに行き、朝まで遊び明かして次の日また学校で会う、ということも多くありました。とにかく一緒にいる時間が長かったのです。

しかし、大学を卒業すると、みんな別々の場所で働き日々を過ごしているため、頻繁に会うことが難しくなってしまいました。

そうすると、日常的なコミュニケーションの頻度がガクンと下がってしまうため、何だか「友達」という認識が薄れていきました。

ありがたいことに、時々遊びに誘ってくれる友達も居たのですが、だんだん、「自分には友達が居るのか?相手は友達だと思っているのか?」という疑問が生まれてきました。

「会う頻度が下がってしまった」のはある意味で自然なことです。私から友人たちに連絡することはほとんど無く、会う努力をしていませんでした。

今では自分の認識がだいぶズレていることが分かりますが、当時は結構本気で「友達いなくなっちゃったな―」くらいに考えていたのです。

めんどくさい


友達から連絡がくると嬉しいけれど、返信することや会って話すことに対して「少しめんどくさいな」と感じている時期もありました。

頻繁に会っていないと近況が把握できず、話題を常に共有していた学生時代と比べてコミュニケーションのハードルが上がったように感じていたのです。

また、結婚して夫と暮らし始めたことで、全く同じサイクルで生活するコミュニケーションコストが低すぎる話し相手を得てしまったことも大きかったかもしれません。

ただ、少しずつ友達に対する考えも変わってきました。以前は仲のいい友達とは、長い時間を一緒に過ごして、話題を常に共有していることが大事だと思っていました。社会人になってから、その距離感が変わっていってしまったことが残念でした。

今では、「そもそも、同じ家に暮らす夫とその他の友人とでは、話をすることや実際に会って食事をすることの意味が違う」と考えています。

全てを共有していないからこそ、会っていなかった期間に起こったことを話したり、それぞれに異なる体験をしたりしている友人たちの意見を楽しむことができるのです。

また、今でも連絡を取り合ったり会ったりしている友人たちは気の置けない人々ばかり。正直、長く交流を続けている友人はみんな「ソウルメイトなのでは…」と思うほどに存在が心地よく、話をしていると自分の心のメーターが回復していくのを感じます。

そもそも、忙しい中でわざわざ自分と連絡を取ったり、「会いたい」と言ってくれたりすることがありがたいです。

この、「めんどくさい」からだんだんと「ありがたい」という気持ちになっていけたことで、自分の中で「友達」の認識が変わっていきました。頻繁に会うことはなくとも、時々連絡を取ったり、近況を気にしたりして「確かに繋がっている」「友達だ」という感覚があります。

深い交流がない「ともだち」?


もともと仲の良かった友人との距離感の変化が解決したと思ったら、新しい交友関係が登場しました。

いわゆる「ママ友」です。子どもが通う保育園や小学校の保護者の方とのLINEグループや、保護者会の役員同士の集まりという、新しい人間関係ができてきました。この関係性でのちょっとした雑談がまた難しいこと…。

以前こちらの記事で、雑談が苦手すぎた話を書きました。

学生時代に、友人から「お前、やっぱり初対面の人との距離感変だよな。」と指摘された過去があるのです。これは学生時代のエピソードなので、当時よりかなり経験を積んでなんとかしているはずなのですが、どうしても気持ちが「イギギギ…」と苦しくなってしまいます。

長い時間を共有しているわけでもなく、密に連絡を取り合う必要のあるプロジェクトを進行しているわけでもない場所で新しい人間関係を一から構築していくことは、本当に難しいことだと感じます。

人の名前と顔を覚えるのが非常に苦手なので、間を空けるともう誰だったか思い出せなくなります。多くの人が感じていることかもしれませんが、私も試行錯誤の日々です。

なるべく意識して話しかけてくれた方の名前を確認するようにしたり、自分の子どもと相手のお子さんの共通点やエピソードを探したり。LINEの返信にはなるべく絵文字を添えて、そっけない文章がご機嫌に見えるように工夫しています。

もしかしたら、これらの努力はあまり意味のないことかもしれませんが、私としては「少しでも相手に不快感を与えたくない、できれば仲良くなれたらいいな」と思っているのです。

まとめ

昔から仲の良かった人でも会う頻度が下がってしまうと「友達じゃないのでは?」と感じてしまうくらい、時間を共有していることが重要な私。

スポーツクラブやお絵描き教室など、自分自身の興味に関わる特定の共通項がある場所では上手く話すこともできますが、子どもの保育園や小学校、習い事ではどうも自分の立ち位置がぐにゃぐにゃしてしまうのです。

しかし、一生の間に出会う人の数はきっと限られています。せっかく出会ったのですから、「なるべく多くの人と良い関係性でいたいな」と思うこの頃です。

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。出産後ADHDの診断を受ける。様々な立場の生きづらさを考えていきたい人。

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