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SLE発症から病名確定まで。高校2年生で閉ざされた健常者の人生。

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2023.12.29

わたしの健常者としての人生は、高校2年生で幕を閉じました。

突然の体調不良から入院、そして病名確定。

一瞬にして人生が一変した、SLEの発症から病名確定までのお話をします。

執筆:xu

体調不良が続き、動けなくなる

最初に異変に気が付いたのは、高校2年生の6月頃でした。

体育の時間、テニスコートで授業を受けていたのですが、両ひざの痛みが気になっていました。

運動不足のせいかと思い、その後すぐに関節痛は改善したので気に留めなくなったのですが、8月に再び関節痛が襲います。


それは家族で海に旅行に出かけ、自宅に帰った次の日のことでした。

右ひざが痛むのに加えてなんだか全身が怠く、とても眠たいのです。

夏休み中でしたし、部活動の活動で学校に行く用事もなかったのに加え、宿題も終わらせていたわたしは、一日中泥のように眠る日々が続いていました。


ですが、だんだん膝の痛みは酷くなっていきます。

日常生活が徐々にできなくなってきて、ご飯も食べられなくなってきました。

この頃からおそらく微熱が続いていたのだと思います。(その時は微熱が出ている自覚がありませんでした)

新学期が始まり、始業式にはなんとか出席したのですが、膝の痛みが酷く階段の上り下りもやっとで、これは何か様子がおかしいのではないか、と学校の帰りに整形外科に寄りました。

検査結果は異常なし。しかし、血液検査の結果に異常があったことから、大きな病院に紹介状を書いてもらい、後日受診することになりました。

大学病院の検査の結果、入院に

そこから熱も出ていたからかあまり記憶がないのですが、週明けに紹介状を書いてもらった大学病院に行きました。

はじめて行く大きな病院に緊張しながら、指定された通りに採血をおこない、内科の待合室で待っていました。

身体は痛みと怠さでとても辛く、座っているのもやっとでした。


ようやく呼ばれた血液内科の診察室で、やっと原因がわかるのではないかと期待していたわたしたちを余所に、先生は無慈悲にも「血液系の病気ではありません。残念ながら原因はわかりません」と伝えました。

大学病院でもわからないことがあるのか、と唖然とするわたしとは裏腹に、冷静に話を続ける先生。

「ですが、この結果ですと膠原病の可能性があるので、そちらの先生に見てもらいましょう」

そして、また採血し検査をし直すことになりました。


もうぐったりしているわたしは、また長時間結果を待たなくてはいけないことにさらにぐったりしたのを覚えています。

そして、再び採血。さっきの検査と今回の検査合わせて8本分のスピッツを採血されて、更にへろへろです。
貧血からか、視界が真っ黒になっていき、ベンチに座ったままうずくまってしまいました。

しばらくじっとしていたら徐々に和らいでいきましたが、もう身体は限界です。


だんだんと周りの患者がいなくなっていく中、夕方4時ごろにようやく診察室に呼ばれ、今の主治医である先生が「膠原病の疑いがあるので、入院して検査する必要があります」と言いました。

それから、わたしの入院生活がスタートしました。

入院から病名判明、そして退院へ

入院中は、とにかく検査、検査のオンパレードです。
血液検査、尿検査。そして、この頃から高熱に悩まされていたので、痛みと高熱で意識がもうろうとしていました。

特に覚えているのが、ウイルスの検査をするためにたくさん採血をしていたのと、トイレに尿を貯めておく検査です。

ウイルスの血液検査では、牛乳瓶2本分ぐらいの血液を持っていかれるため、すごく採血部分が吸われている感覚がして気持ち悪かったのと、採尿も共有トイレに貯めて置かなくてはいけなかったので、自分のおしっこを他人に見られるのが嫌でした……。(女性病棟だったのが幸いでした)

あとは、骨髄?腰の方から髄液を取る検査も激痛でした……。(再燃時にもう一回似たような検査をやることになります)


もう痛みも高熱も限界で、検査結果が一通り出た後、両親と一緒に先生が呼ばれて病名が告げられました。


「全身性エリテマトーデス」


熱と解熱剤で呆けた頭に、聞いたことのないような病名が反芻します。

それから、治療法や主に使うステロイドの説明、そしてこれからの暮らし方について説明を受け、病室に戻されました。

ようやく霧が晴れた気持ちと、これからこの病気と一生付き合っていかなければならない、という重みが、わたしにズシン、とのしかかってきたのを覚えています。


投薬が始まってからというもの、みるみるうちに元気になり、ご飯ももりもり食べられるようになりました。(ステロイドって無限にお腹が空くのでこわい)

身の回りのことも自分でできるようになり、売店に行ったりデイルームに散歩に行ったりしていました。

また、入院中はSNSなどで同級生と交流したり、両親や友達が頻繁にお見舞いに来てくれていたのと、非日常な入院生活が新鮮で熱が下がってからは退屈せずに過ごせていました。


ですが、やはり辛いことの方が多かったのは確かです。

入院中の一時帰宅の際、自宅に泊まる予定が高熱が出たため病院に戻され、解熱剤の点滴を打ちながら「どうしてわたしは当たり前に家にいることができないのだろう」とベッドの中で泣いたことを覚えています。

また、楽しみにしていた文化祭も入院中だったため出ることができず、悔し涙を流していました。

こうして秋の気配が感じられるころ、ようやく退院することができました。(3週間ぐらい入院していました)

まとめ

退院してからも、屋外でおこなわれる体育や行事に参加できなかったり、傘を差していなくてはいけなかったりと普通の人とは違う自分を認めることができなくて、辛い日々を送ってきました。

ですが、今はどれも特性の一つとして受け入れて生活しています。

SLEになって諦めることも多くなりましたが、諦めなくてもいいこともたくさんあります。
工夫次第では、健常者と同じように生活することも可能です。


そして、あなたは1人ではありません。
一つ一つのことを大切にし、支えてくれる人々に感謝しながら、日々を生きていきましょう!

パラちゃんねるカフェでは、このほかにもSLEの生活について執筆しています。
ぜひ参考にし、日々のヒントにしていただければ幸いです。

【SLEに診断されてからの話】
https://www.parachannelcafe.jp/parties/7915/

Text by
xu twitter note homepage

1998年生まれ。17歳の時に全身性エリテマトーデスを発症、22歳の時に線維筋痛症を併発した。高校卒業後は広告代理店でライターとして勤務し、その後フリーのライターとして独立。
趣味はゲームをすること。noteではコラム未満の病気の話やエッセイなどを執筆している。

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