難病のわたしでも、健常者と同じように
〜合理的配慮に救われた日〜
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2021.12.8
難病患者は、健常者と同じように暮らすことは難しい。それ故に、諦めなければならないことも多くありました。
ライブも、そのひとつ。
そんなわたしでも、ライブを楽しむことができた日の話をさせてください。
執筆:xu
これは数年前のこと。とある友人と共通の趣味があり、アーティストのライブに行こうと誘われたことがありました。
ですが、そのライブは立ち見。わたしの身体は疲れやすく、長時間立っていることができません。
とっても嬉しいお誘いでしたが、きっと立って観ることは難しいので断ろうと思いました。
数日後、その友人に会う機会があったので、ライブに行くのは辞めておくと伝えました。するとその友人は、「座って観ることができないか聞いてみる」と、ライブの運営会社にわざわざ電話をかけてくれたのです。
友人の行動力には大変驚かされましたが、一緒にライブを楽しみたいという彼女の思いが伝わり、その行為にも感激しましたが、もっと驚くことが待っていました。
なんと、「車椅子用の座席があるので、パイプ椅子で良ければ用意できる」とのこと。
そのような配慮をしていただけることを知らず、とても感動しました。
「なんでも言ってみるもんだよ〜」と友人は得意げでしたが、わたしは普通の人と同じように、楽しめるよう配慮をしてくれた、という事実に涙ぐんでしまいました。
それまでは、何をするにも『諦める』ことばかりでしたから。
テーマパークでは日傘を差してはいけないので、日中は避けなくてはいけません。
また、疲れやすいことから、長時間歩くことや普通の子のように一日中遊ぶことも難しいのです。
このように、自分だけでなく周りにも迷惑をかけてしまう。そうなるくらいなら、そもそもそういったところに出かけなければいい。
いつしか、外出することに対して消極的になっていました。
ですが、友人の行動とライブの運営さんのお気遣いのおかげで、普通の人と同じようにライブに行くことが可能になりました。
ライブ当日、同じようにヘルプマークを付けた女性が車椅子席にいました。わたしと同じように立ち見ができないからなのでしょう、パイプ椅子が用意されていました。
席に座って一息ついていると、通常の立ち見席にいる人たちがわたしたちのブースをチラチラと盗み見て、何かをささやきあっています。
『普通じゃない』=『特別扱い』が気に入らなかったのでしょうか。
「なんだか目立っちゃいますね」と恥ずかしそうに話しかけてくださった彼女に、「そうですね」とわたしも照れながら返した記憶があります。(人見知りなので…)
ですが、ライブが始まってしまえば、会場は一体化します。
恥ずかしさやちょっとした罪悪感はあっという間に吹き飛び、健常者と同じようにライブを楽しむことができました。
わたしもライブを楽しめるよう真っ先に行動してくれた友人や、配慮してくださったライブ運営者の方々には厚くお礼申し上げます。
最高の1日を、ありがとうございました。
※ライブ運営元により、対処は違うと思います。今回の例が必ずしも適応されるとは限りませんので、詳しくはライブ運営元に直接ご相談ください。
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Text by
xu
1998年生まれ。17歳の時に全身性エリテマトーデスを発症、22歳の時に線維筋痛症を併発した。高校卒業後は広告代理店でライターとして勤務し、その後フリーのライターとして独立。
趣味はゲームをすること。noteではコラム未満の病気の話やエッセイなどを執筆している。