完治は難しいってホント?繰り返された虐待の後遺症である「複雑性PTSD」は治るのか?
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2024.2.5
「複雑性PTSD」は、繰り返し体験したトラウマによって発症する精神障害。そのため、治療が困難だという説がある。だが、完治は難しくても寛解はできるのではないかと当事者である私は希望を抱いている。
執筆:古川 諭香 Yuka Furukawa
このまま一生「複雑性PTSD」なのではないかと不安になった日々
ネットで「複雑性PTSD」という病名を検索すると、「治らない」というサジェストワードが出てくる。カウンセリングを始めた頃の私は、その検索結果に絶望して、なぜサバイバーである自分だけがこんなにも苦しまなければならないのか、と親を恨んだ。
親から言われたトゲのような言葉や、されてきたぞんざいな扱い方が自分の中から消えてくれない。自分を愛したい。頑張りすぎる完璧主義な性格を変えたい。そう思うのに、変わり方が分からない。これが愛だとしっくりくる愛され方をしていないから自分や他人の愛し方なんて分からないし、何もできない自分は愛されるに値しないと思ってしまう。
最近の研究では、虐待をされると脳の機能に影響が現れたり、重大な損傷が引き起こされたりすることが分かってきている。それを知った時、より絶望的な気持ちになった。脳についた傷なんて治るわけがないと思ったからだ。
実際、カウンセリングを始めた当初は自分の思考にあまり変化がなかった。カウンセリング直後には心が少し楽になり、世の中の見え方が明るくなるものの、数日経てば、また自己否定感に襲われ、自分を嫌う日々が続いた。
だが、心は不思議だ。悩み迷いながらも週1回のカウンセリングを続けていたところ、ふと振り返れば、数ヶ月前とは少し違う自分でいることに気づくようになってきた。自分はありのままで愛される存在なんて、正直まだまだ思えない。けれど、「私なんて」という言葉を自分に向けて吐く日は減った。
コンプレックスだらけの顔も好きにはなれていないけれど、隠すのではなく、私自身を活かすメイクをしたいと思えるようになった。
そんな変化を感じ始めた頃、通院しているクリニックのカウンセラーが教えてくれた。虐待による脳の傷は、寛解はできる。消えはしなくても、かさぶたのようにはなるから大丈夫だ、と。その言葉を聞いて、心が少し楽になった。完治は難しくとも、生活に支障がないようなかさぶたになるのは嬉しいことだし、そのかさぶたも自分が頑張ってきた証として愛せる日が来たらいいなと思ったのだ。
「複雑性PTSD」の治療には言えなかった感情の理解者が大切
身体的虐待や精神的虐待、性的虐待、ネグレクトなど、親から子どもに行われる虐待は様々だ。傷が目に見えるものもあれば、見た目では分からない傷跡を残すものもある。だが、どの虐待にも共通するのは脳も心も傷ついているということだ。
私もそうだったように、虐待被害者の多くは自分を責め、生い立ちを悔やみ、言葉にできない生きづらさから逃れられない苦しみと、懸命に闘っているのではないだろうか。その苦しみは十分頑張った末に生まれたものであるため、「頑張る」という行為では和らげられないことも多い。
虐待サバイバーに必要なのはきっと、ひとりで頑張ることではなく、あの時言えなかった感情を受け止め、理解してくれる存在を見つけることだ。傷ついた心ととことん向き合ってくれ、「どんな感情も大切」「思ってはいけないことなんて、なにひとつない」と、無防備な心を包み込んでくれるカウンセラーとの出会いは、染み付いた自己卑下の思考を変える大きなきっかけとなる。
苛立ちや悲しみ、不安、孤独など、色々な感情を抱えながら本稿を読んでいる虐待サバイバーにも、心と脳についた傷をかさぶたにする治療法が見つかることを心から願う。