PARA CHANNEL Cage

ヘルプマークと私。

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2022.11.25

先月で生誕10周年のヘルプマーク。

私にとってのヘルプマークは、
障害をオープンにして生きる勇気と外に出る勇気をくれ、日々の生活を支えてくれるお守りのような存在です。

執筆:愛

私は4年ほど前までは、病気や障害のことなどはクローズ(周りに公表せず)で生きてきました。

というのも、子供の頃から家庭環境や能力的なことなどが周りとはかなり違うことに対して、強い劣等感や自己否定や羞恥心を抱き、それがバレてしまわないように、必死に隠して「ふつう」を装って生きる癖がついていました。

物心がついた頃には、既に隠すようになっていて、成長しても弱みや甘えを人に見せることはできず、何があってもクローズしてしまう生き方になっていました。

なので、大人になって障害の診断を受けた後も、また必死に「ふつう」になろうと人と接してしまい、いつ本当の姿がバレてしまうかと怯えながら過ごしていました。

でも、「ふつう」を装っているつもりが、それでも上手く行かず、人間関係やお仕事でも支障が出たりと、自分に幻滅しては余計に自己否定が強くなっていくばかりでした。

オープンにした方が、本当は楽になるのかもしれない…
そう思いつつも、オープンにして自分らしく生きる勇気もありませんでした。

もし正直に話したら、もっとダメな人間だと思われるのではないか…
話すこと自体が迷惑ではないか…
障害のことを聞いてどんなふうに思われるのか…
周りだって頑張っているのに、自分が辛いということを言っても良いのだろうか…

そんなモヤモヤとした気持ちと大きな怖さがありました。

ですが、現在はオープンにして生きています。
偽らない、装わない自分を取り戻すために、今も内面との向き合いを続けています。

あれだけ自分らしく生きることに怖さを抱いていた私がオープンにすると決めたのには、いくつかの理由がありました。

  • 1.治療や学びが進んでいく中で、段々と自分を偽ったり、装っていることに対して違和感や苦しさを感じるようになったこと。
  • 2.閉ざされた世界で1人でいろんなことを抱えて生きることに限界がきてしまったこと。
  • 3.病気や障害がある自分、みんなと同じにできない自分を否定し続けるのではなく、どこかでは受け入れたいと思い始めていたこと。
  • 4.お仕事や生きている中で、自分のこれまでの経験が役に立つこともあるということを知ったため。
  • 5.障害があるからこそできることがあると知ったため。
  • 6.体調によってお仕事をお休みしたり、受け持つお仕事の中で特性に対応するように自分なりのやり方が必要なため、オープンにする方がスムーズだったこと。
  • 7.子供の学校や支援先に伝えることによって、先生方とお話がしやすくなったり、私との関係性という観点からも子供の成長を見ていただけること。
  • 8.学校など私の病状が原因でできないことが、子供のせいや負担になってしまうのを減らす事ができると思ったため。
  • 9.治療を優先しながら、社会参加をするため。
  • 10.PTSD、広場恐怖、パニック障害の治療に限界を感じ、独自に曝露療法をしようと決意したため。

主にそのようなことが理由でした。
そして、その一歩を踏み出す勇気をくれたうちのひとつが、『ヘルプマーク』でした。

いきなり全開でオープンにというわけにはいかないので、まずヘルプマークをつけて日常を過ごすことと、私にとって大事な曝露療法(詳しくは別コラムで書く予定です)を行うためにヘルプマークの力を借りました。

私のPTSD、広場恐怖、パニック発作は、犯罪被害の後遺症なのですが、
治療を長いこと続けても、ある程度までは回復していく中、どうしても大きな山がなかなか越えられず、限界を感じていました。

そんな時に、公共機関を使って独自に曝露療法を行う決意をしたのですが、私の場合、特定の状況で発作が出やすいというのが分かっていたので、その状況を避けるためにも、安全基地的な役割でもある優先席の存在がとても大事で必要になりました。

見た目が健康に見える私が優先席を利用するためには、ヘルプマークがあることによってつけない時より利用がしやすくなります。

当時は、私のような人がつけても良いのかが分かりませんでしたが、発作が出てしまう自分自身を守るために、ヘルプマークをつけることにしました。

それから自分だけではなく、もし外で発作が出てしまった時、私がヘルプマークをつけていることによって、「持病でもあるのかな?」と思えることは、多少なりとも周りの人を驚かせてしまうことを減らせるかもしれない…と思いました。

本当に僅かかもしれませんし、もしかしたらあまり意味がないことかもしれませんが、少しでも…という気持ちがありました。


優先席を利用するにあたっては、もちろん辛いのはお互い様なので、譲ったり譲られたりしながら、優先席を利用しています。

もし優先席に座れなくても、なるべく発作が出ないように、できるだけ人が少ない時間に公共機関を使うようにもしたり、気を紛らわせる訓練を続けています。

ヘルプマークに助けられながら曝露療法を続けられたことによって、4年が経ち、ひとまず大きな山を越えることができました。

現在の私の病状は、ヘルプマークをつけ始めた当時より改善されていますが、どこででも発作が出なくなることが私の目標なので、今もヘルプマークをつけて曝露療法を続けています。

いつ発作が出るかなどの不安は消えませんが、ヘルプマークのお陰で繰り返し外に出る練習ができたことによって、発作が出ることなくお友達に会えるようになったり、大好きな俳優さんの舞台に行くこともできるようになるまで、私は自分の人生を取り戻しつつあります。

これまでは、自分の身に起きたことをずっとずっと憎み恨み…
本当に苦しい日々でしたが、例え何が起きても、結局は自分で何とかしなくてはいけないという状況の中、ヘルプマークは一歩前へ進む勇気をくれました。


それだけではなく、ヘルプマークをつけていることで、

「これなに?」

と聞いてきてくれる方が増え、そのたびに、自分のことをお話しする、という練習をすることができました。

そうして話していくたびに、自分を受容していくような感覚が持て、少しずつ、病気や障害を持った自分を受け止められる器がつくられていきました。

その後、次にお友達、学校、職場、地域の方…と、自分のことを話すことができるようになっていきました。

オープンにしたことによって、逆に相手の方も対応が分かりやすくなることもあるので、特にお仕事でのやり取りなんかがスムーズになりました。

そして、なにより良かったことは、治療を優先できるようになったことです。

これまでは、目の前にやってくるやるべきことが最優先で、主治医の指示にも従えないことばかりで、治療は二の次三の次という状況が続いてしまい、病状も一向に良くなりませんでした。

とても長い時間がかかりましたが、オープンにできたことによって今は、治療に専念させていただける環境をつくることができています。その中で、自分にできることを取り組んでいます。

治療を優先できたことによって回復も進んでいます。
更に元気になって、できることを増やせたら良いな…と思っています。

1人ではここまでこれませんでした。

外に出ている時、心配してくださった方も席を譲ってくださった方もいました。
身近な方も、病気や障害のある私を受け止めてくださったり、今も支えてくださる方々に心から感謝をしています。


私が私を生きていく中に、
そして回復していく歩みの中のひとつに、

『ヘルプマーク』

があります。


日々、そばで支えてくれるヘルプマークにも…

Text by

障害手帳2級。本格的に治療を始めてから約16年。
今もまだ葛藤は抱えていますが、治療や取り組んできた事が実を結び、笑える日も増えました。更に理解を深めていき、これからも自分にとっての学びと向き合っていきたいです。希望や夢だけでなく、もやもや、どろどろな自分もぎゅっとしながら、出来ることを精一杯頑張ります。

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