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【難病×働く×社長】新しい会社の形。次世代に譲っていくこと

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2023.9.5

1年半ほど前に突然、高熱と皮疹が続き、指定難病の成人スティル病(成人スチル病)と診断されました。その後、今までの生活スタイルを見直し、働き方を変えて仕事復帰をしましたが、コミュニケーションの問題などで会社のメンバーとのずれが出てしまい上手くいきませんでした。今回は会社組織の見直しの過程について書いていきます。

執筆:もーこ

こんにちは、もーこと申します。

都内でWeb制作会社を経営しております。1年半ほど前に突然、高熱と皮疹が続き、指定難病の成人スティル病(成人スチル病)と診断されました。

その後、今までの生活スタイルを見直し、働き方を変えて仕事復帰をしましたが、コミュニケーションの問題などで会社のメンバーとのずれが出てしまい上手くいきませんでした。

上手くいかなかった経験を踏まえて、「自分だけが変わるのではなく周りも含めて会社全体を変えていく必要がある」と考え会社組織の見直しを行っていきました。今回はその過程について書いていきます。

フルリモートの新しいコミュニケーション


仕事復帰をしてもオフィスまで通える体力が戻っておらず、服用している薬の副作用もあったため4ヶ月程は在宅でのフルリモート勤務を続けていました。

しかし、徐々に社員とのコミュニケーション不足を感じていました。

具体的には対面に比べて相手の感情が見えにくくその場の雰囲気や空気感が掴みにくい、業務連絡のみの必要最低限な会話になりがちになり、相手の思っていることや悩みなどが共有しにくいといったことです。

この状態が続くことで私と社員との間に壁ができてしまい、互いに不安が大きくなり、モチベーションが下がったり、進んでいる方向を見失うといった大きな問題になりかけていました。

その改善策として行ったのが「中継役を置くこと」でした。オフィスの社員と自宅にいる私の橋渡しをしてくれる人を作ったのです。中継役はオフィスに行けない私に代わって、対面で社員と接し、私と会社メンバーの間のコミュニケーションを補佐する役割をしてくれました。

中継役はオンライン会議の際、社員と同じ部屋にいて進行役を務めます。その場の雰囲気を読み取りながら、リモートの私の方に話を振り、また私の方から話す内容も補足をしながらその場をまとめてくれました。

リアル側とリモート側の通訳をする人と言ってもよいかもしれません。こうして中継役を立てることで、私からは「言いたいことが伝わっているのだろうか」という不安を払拭することができました。

中継役は対面で社員と接してくれているので「どんな空気だった?」と後で雰囲気を確認することもできました。

また、この方法でお客様との打ち合わせも行いました。お客様と中継役が対面で打ち合わせを行い、私はリモート参加する形です。中継役がノートパソコンを開き、私が画面越しにお客様と話す様子から「パソコンに入ったもーこさんを運んでいるみたい」とも言われました。

ただ、この方法を成功させるために普段から中継役とコミュニケーションを密にしておくこと、伝えたいことを事前にしっかり合わせておくなどが必要になります。

そして打合せが始まってしまえば中継役に「任せる」という信頼も必要になります。中継役になってくれたのは長年一緒に仕事をしてきた経営者仲間だったということもあり、ある程度上手くいく方法だったと思っています。

こうした取り組みをして感じたのは、今まで対面でやってきたことをすべてリモートにしようというのではなく、対面でうまくいっていた部分も残しながらリモートも取り入れる「リモート+対面」のハイブリッドを探っていくことが大事だということでした。


目に見えるようになった会社の課題

ここからは会社組織の話になります。なぜ私が働き方を変えて上手くいかなかったのか?このことを考えるにあたり、今まで自分自身がしてきたことの振り返りを行いました。

すると、社長という役職の中にも、営業、デザイナー、ディレクター、経営などいくつもの役割があると気づきました。その中でも経営については他の社員や会社のメンバーに仕事を振ることができず、自分ひとりでやっていることも多くありました。

役割が集中していることで、私自身の責任が重くなっており、私が動かないと会社が回らない状態になっていました。

「ひとりに業務が集中してしまっている」というのはリスクが大きいです。これは私が病気になったことでリスクが表面に出てきたもので、もともとあった会社の課題のひとつだと認識しました。潜在していた課題が顕在化したのです。

それに気づいたことで根本的な問題が見えてきた気がしました。

原因がわかると次にどうしていくのがよいかを考えることができます。私のやることを絞っていき、社員や他のメンバーに振れる仕事は振っていくことにしました。

私の本来やるべきことは何かを考えると「営業」や「会社経営」であると考えました。このあたりは、改めて会社の中で私はどうしていきたいのかをじっくり考え直しました。

制作もやりたいけれど、全部はできない。何より「働き方を変える前には戻れない」と思ったことが大きかったです。


次の世代に「譲っていく」ということ

働き方を変えた理由は、体力的な負荷を減らすという目的もありましたが、実はメンタルも大きく影響していました。

今まではどちらかというと「ガンガン仕事をして稼いでいきたい」と考えていましたが、働くことへの気持ちが「多くを望まず必要な分の稼ぎがあれば良い、あまり頑張りすぎず毎日穏やかに過ごしたい」へと変わっていたのです。

これは今までやってきた仕事量をこなすには難しいメンタルでした。「もう自分ひとりで先頭に立って進むのではない方が良いな」とも感じました。

復帰をしていくなかで徐々に社長というポジションを譲っていきたいと考えるようになりました。

ただ、そう思っても急に交代できる訳ではありません。ここはとても難しかったのですが、今いる社員のなかで社長候補となるメンバーに話をし(ここも中継役がまとめてくれました)これからの会社について社員とも何度も話し合いを行いました。

その結果、ありがたいことに社長職に手を挙げてくれる社員がいました。もう1名の社員も取締役になってくれました。こうして私ひとりだった役員は現在3人になりました。

新しい体制になり、会社の形が変わったことで「譲っていける」土台が出来てきました。何より役員が増えたことで、私ひとりでやっていたことが少しずつ分散されました。

現在もまだまだ試行錯誤している段階ではありますが、私は役員のひとりとして、これからの会社の形を考えながら自分のやりたいことにもチャレンジしていきたいと思っています。今までできなかったやりたいことにも手を伸ばせるようになったのは、少しずつ譲っていくことができ始めたからだと思っています。

私の場合は病気でしたが、それ以外にもライフスタイルの変化で「働き方を変える」タイミングは人生のなかで訪れることも多いと感じます。

その時に訪れる自分自身の変化に加え、周りも含めて変化していける方法を探っていけたら良いなと感じています。

今後、他のメンバーも働き方が変わることがあるかもしれません。その時もここでまだ働きたいと思ってくれる限り、継続して働ける場を作っていけるような会社にできたらと考えています。

Text by
もーこ twitter note

1982年生まれ。Webデザイン会社を経営。2021年、手足の発疹と39度の高熱が数週間続き、指定難病である成人スティル病と診断される。その後ステロイド服用による治療をしながら仕事復帰。
病気になったことで、ハンデがあっても働くことの選択肢を増やしたい。病気とつき合いながらも自由な働き方を選んでいきたいと強く想い活動を開始する。

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