自分の治療を優先にすると決めたお話【後編】
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2023.4.3
前回は、治療を優先する前の状況と優先することを決めたきっかけについてお話ししました。
今回は、治療を優先するために、それまで抱え込んでいた家事や育児などの負担を減らす方法や利用している制度、負担を減らす難しさについてのお話をしたいと思います。
執筆:愛
退院した後のこと
心身に限界がきて緊急入院をしていましたが、なんとか退院することができました。退院後は、自分が元気になりそうなことをしてみたり、ぎこちないなりに自分を大事にしてみる練習を始めました。
少しずつ元気を取り戻し体力も戻ってきた頃、私の入院中に児童相談所に預けられていた子供たちが帰ってきました。
帰ってきた子供たちは、顔が引きつって、言葉も少ない状態。
突然、母である私と離れて知らない場所に連れていかれ、理解できない状況になってしまったので当たり前ですが、子供たちの引きつった顔を見て胸が張り裂けそうでした。
まずは子供たちの笑顔を取り戻すためにも、主治医からの指示通り、自分自身の負担を減らしていくことから始めました。
私の負担を減らすためにやったこと
ー 引っ越しをした
ちょうど住宅の契約更新のタイミングが重なったため、今後の生活のことを考え、今よりも環境が良くなりそうな場所へと引っ越しをしました。
もちろん、金銭的な余裕はなかったので、大型の家具などの運搬は家族に頼み、その他の荷物はほぼ1人で運びました。そういうところでも無理をしすぎてしまう自分がいましたが、新しく始めるという強い決意のため自ら選びました。
ー 家事は、障害福祉サービスに頼ってみた
両親のケアについては、母は亡くなり、父はその後回復したため、負担が無くなりました。
もともと別居していた旦那さんともそのまま離婚になったため、その分のお世話は無くなりました。
新しいお家では自分の負担を減らすため、障害福祉サービスの居宅介護(家事援助)の利用を開始しました。
利用開始当時は、1年を通して寝たきりになることも多かったため、家庭環境を整え、少しでも負担を減らして病状の緩和に繋げることと、そして体力の保持と身体を動かす練習も兼ねてお願いすることにしました。
以前、訪問介護の仕事をしていたので、支援内容は理解していましたが、実際逆の立場になると、人に頼れない性格や人が家に入るストレスと、ヘルパーさんが来ると思うと無理をして事前に片付けてしてしまうことに苦しみました。
でも、ヘルパーさんが来て家事をしてくれて、家の中がきれいになった後は、ほっとするのは間違いないので、なんとか自分の気持ちのバランスを取りつつ、現在は掃除をメインに週1回のペースでお願いしています。
ー 訪問看護も利用して、治療をサポートしてもらう
私の発達特性については今後、治療方針を見直す予定です。
先日のコラムで書いた読解困難のように、発達についての困り事は相変わらず続いているため、主治医の先生と相談し、今後は訪問看護の利用を決めました。
訪問看護は服薬管理や悩み相談、その他状況に合わせて利用ができ、体調によって文書の読解が難しい私の補助なども行ってくれるそうで、今よりさらに生活を安定させていくことに繋がるかもしれないと感じたので一度お願いしてみることにしました。
ー フルタイムにこだわらず、自分のペースで社会参加を
お仕事について、今までは「周りのママさんたちと同じように、ひとつの仕事をフルタイムで!」という強いこだわりがあり、就労移行支援事業所に通所して就労を目指したりしていました。
でも身体と心のことを考え、前編でもお話しした憧れの方の働き方にヒントをもらい、現在はパラちゃんねるのコラムのお仕事も含めて、体調や治療を優先しながら、できるお仕事をいくつかしています。
本当はお仕事もお休みをするよう主治医の先生からは助言がありましたが、どんなにカウンセリングを続けても私の中で〝働いていない自分”を受け入れることがどうしてもできなかったので、ならばその気持ちを丸ごと受け止めて、私なりに社会参加を続けることを選びました。
これは身体的な負担よりも心の負担を減らすために大切なことでした。
ー 学校行事は無理のない範囲で参加
学校行事についても基本は体調を優先し、最低限参観などはその日に合わせて調整をするようにしたり、時間を短くしたり、発作が起きそうな時は人から少し離れるようにして出席しています。
それでもどうしても難しい時は行事をお休みすることもあります。今でも頓服を飲んで行くことはありますが、薬が必要ない日も増えました。
ー PTA役員と自治会役員は思い切ってお休みを申請
PTA役員と自治会役員は、現在はお休みを頂いています。
解離症状や読解困難、計算や管理も難しい私にとっては、どちらもとても困難なお仕事です。
また、体調が悪くても決められた日に集まらなくてはいけなかったり、集まりの途中で副作用が出ると困るので定時の薬を飲めなかったり、逆に発作が出ないように頓服を多めに飲んでまで行かなくてはいけなかったり。とにかく負担が大きかったのです。
でも、役員をお休みするという勇気を出すのはとても難しく…
実際のところ、私は人と会うと明るくひょうきんに接する癖があり、また、発達障害があることも一見分からないとよく言われます。何より双極性障害特有の躁の時に出会った人は、まず私のどこが病気なのかは分からないと思います。
そのため余計に「治療のために役員をお休みしたい」と言っても理解してもらうことが難しく、これまでは全て無理をして引き受け、結局その後家で潰れて寝たきりになったりしてしまうということを繰り返していました。
そもそも引き受けるのは絶対ですし、断るなんて言語道断。色々な事情を抱えた人たちも無理をしてやっている中、私だけお断りするなんて…と思っていました。
それでも、現在は勇気を出して事情をお話し、診断書を提出して、できる範囲のお仕事だけをさせてもらっています。
実は、PTA役員よりも自治会役員の方が休むのが難しく、診断書を出してもすんなりお休みできるというわけではありませんでした。ニュースで観るような自治会内でのちょっと厳しいやり取りが最近もありました。
そんな中、長年診てくださっている子供たちの主治医が「これ以上、自治会役員を無理強いされるようであれば、何か対策を考えましょう」と一緒に私たち家族を守ろうとして下さいました。「1人で立ち向かわなくて良いんですよ」という先生のお言葉がとても心強く、今もなんとか治療優先の環境を守れています。
自治会の仕事ができないことは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、まずは病気を良くすること。そして子供たちを守ること。
そのために変わらず治療と回復を進めていく。
できるようになった時、他の仕事もがんばっていく。
ごめんなさいとありがとうを抱えながら日々過ごしています。
負担を減らす難しさ
そんな風に少しずつ日常の負担を減らしてきたのですが、心理士の先生からすると「まだまだ負担が大きい。無理をしている」と言われます。
もともとMAXに負担が大きかった時でも「私はだらけている人間だ」と思ってしまう性格なので、
断る、お休みする、何かを頼むことが申し訳ない…
子育ても他のことも完璧にやらなきゃダメな親だ…
普通の人みたいにたくさんこなして普通に見られなきゃ…
そんな心理状況が根強くあり、負担を減らしたと思ったらその罪悪感と自己否定を紛らわせるために別の負担を増やしてしまったり、身体が悲鳴を上げていても見て見ぬふりをしてさらに動いてしまうということが続いていました。
そして何より1番の大きな問題は、私自身が幼い頃から「安心できる環境」を知らないことです。
常に命の危機や苦しい環境にいたので、「楽」や「安心」といったものよりも、本来なら苦しいはずの環境に自分を置くことが、ある意味での安心感に繋がるので、それ以外の環境下になることを無意識でひどく拒んでいたのです。
心では楽になりたいと思っていても、自ら苦しい状況にしてしまうことはよくある話のようです。
また私自身、物事を解決せずに一旦抱えておくといったことが苦手でできなかったため、回復のために様々な方法を取り入れてしまうといった行動も見られました。
回復しようという行動が結局負担にも繋がってしまうので、今はカウンセリングを続けながら、すぐ行動せずに止まる練習(負担を増やさない)も行っています。
バランスを取りながら、治療を進めていく
私自身の治療としては、精神科、臨床心理士さんによるカウンセリング、障害者支援センターでの相談、心理の勉強が主に基盤となりましたが、その中で、主治医や支援の方にしか分からないことと、自分や子供にしか分からないこともあり、それぞれの先生方の見立てや専門性なども違うので、
『どこかひとつに偏りすぎずバランスを取りながら治療や生活、子育てに取り入れていく』
ということがとても大事でした。
治療優先に切り替えてからの回復スピードは、それ以前とは比べものになりません。
私が安定に向かっていくことで、何より子供たちが子供らしい姿に戻り、笑って過ごせるようになりました。
でも未だに、「もうお母さんと離れ離れはいやだ…」と泣いたり、「あのまま離れ離れだったら心が崩壊してた…」と、子供からはよく言われます。
日々支えてくれる方々にも感謝の気持ちを忘れず、そして子供たちのためにもより安定して日々を暮らせるよう、これからも治療を続けていきたいと思います。