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PTSD と闘い人生を取り戻すお話~1~あの日のこと

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2023.8.14

性犯罪被害に遭ってから20年以上。
被害後、生活の中にはいくつもの制限が発生し、後遺症も残り、自分が自分でなくなっていきました。
病状は次第に悪化していき、まるで人生を奪われたよう…
でも、ある時からその現実と闘う決意をします。
今回は、PTSD(併発の複数障害)の原因となった事件とその後のお話をしたいと思います。

執筆:愛

***編集部より***
※注意※
フラッシュバック症状がある方は、無理をして読まないようご注意ください。
このコラムは、あくまでもライター個人の経験に基づくお話です。

精神障害の治療法は、個人や症状によって違います。専門の医師の指導の下、行うようにしてください。
ライターが実践した曝露法は、主治医、担当の心理士と相談しながら進めています。
****************

危険が増える学生時代

学生の頃は、とにかく危険を感じることが多かったです。特に行動範囲が広がる高校生時代は、怖い思いをする回数が圧倒的に増えました。それは私だけではなく、何人もの友達からも似たような話をよく聞きました。

私の場合は、悲しくも幼少期からの家庭環境が常に怖い日々だったので、空気が変わる瞬間や異変を察知する力、その中でどう生き延びるかといった力が身についていたので、危ない場面になるとすぐ身体や思考が働き、大事には至らずに済んでいました。あるときまでは…

その事件は、後の私の人生に大きく影響しました。

事件後の心と身体の変化

あの日、殺されるかもしれないというかつてない状況の中から、自分自身をなんとか守り通しましたが、そのときから何かが壊れ心が止まったようになりました。

そして、当時お付き合いしていた彼以外の人間、特に男性を信用することができなくなりました。

恐怖で体が強張ったりパニック症状なども出るようになり、夜や電車、男性の近くにいることが難しく、行動するには時間や場所を選ばなくてはいけなくなりました。

そのため、彼が学校の送り迎えをしてくれたり、どこへ行くのも一緒に行動してくれました。彼といることでおかしくなってしまう感覚から何とか守られて、そのお陰で受けた傷に蓋をして、長いこと傷を見ないようにすることで日々を過ごすことができていました。

私自身も事件のことはなるべく口にせず明るく振る舞うことで、大したことはないのだと周りに思わせるようにしていました。

犯人は逮捕されましたが、被害者は私だけではなく、他にも何人もいました。私よりもっと酷いことをされた子や、1人は事件後自ら命を絶ったと聞いています。

でも、犯人はたった数年で出所しました。

犯人が出所したことによって、私はパニック症状などの後遺症の他に、「犯人にまた見つかるかもしれない」という恐怖も抱えることになりました。

結婚して、第二子出産後に異変を感じる

当時の彼とは結婚をしましたが、相変わらずどこでも一緒に行動をする生活は変わりませんでした。

そして第二子を出産した頃、心身の負担が重なったのもあり、私は酷い産後うつになり、状況が一変しました。

『あれ…これは、いつもの落ち込みとか悩みとかの次元と何かが違う…』

何となく漠然と感じた、“ヤバいかもしれない…”という思い。

心のコントロールが一切効かず、音も立てずに何かが崩れていくのを感じました。

うつ症状が見られるようになって数日、たまたまニュースで、同じような被害に遭った方の特集が流れてきたのですが、“それ”は突然津波のようにやってきました。

「………怖い…怖い…怖い怖い怖い怖い!!!助けて!!!」

ずっと傷を閉じ込めてきた蓋が、とうとう開いてしまった瞬間でした。

お天気の良いお昼。

子供たちは変わらず元気に遊んでいる中、恐怖と震えでうずくまって、涙が溢れ出して動けなくなってしまいました。

開いてしまったものは、もう止まりません。
事件から5年後…、とうとう地獄の日々が始まりました。

突然くるフラッシュバック…
眠れない
食べられない
外に出られない
カーテンを開けられない
テレビをつけられない

目の前のこの人は安全な人なのだろうか
後ろでするこの足音はつけてきてるのか
玄関から入ってこられるんじゃないか
インターホンが怖い
誰も信じられない
怖い
怖い

人が怖い
男の人が怖い
男の人が気持ち悪い
吐き気が止まらない
助けて
怖い

死にたい
死にたい
消えたい
こんな世の中にいたくない
こんな怖い世界に子供を生んでしまった
どうしよう
怖い怖い
助けて
助けて

そんな思いが渦巻いていました。
そして、その症状とは反対に、

こんなことでおかしくなっている…
辛い苦しいと言っている…
もっと酷い目にあった人がいるのに…
あの時事件に遭ったのは私が悪いんだ
いつもそうだ
悪いことしか起こらない…
私がダメだから

被害にあったのはあの日あの場所にいた自分のせいなのだという歪んだ自己非難も生まれ、犯人より他の誰よりも、自分を強く責めるようになっていきました。

おかしくなっていく自分と、子供たちがいるからなんとか過ごさなきゃ、一生懸命笑わなきゃ、という自分を行ったり来たり。

でも身体は強張る、震える
パニック発作がでる、息が吸えない
涙が出てくる…

そうしてどんどん病状は悪化していきました。

PTSD、パニック障害、広場恐怖、不安障害、醜形恐怖障害、自傷、希死念慮、自殺願望、自殺未遂。

うつ状態からうつ病、そして双極性障害へ(ラピッドサイクラー)…一時期はここまで併発し酷くなってしまいました。

なんとかしたい、「助けて」という思いと、自殺しようとする自分の狭間で、その後十数年苦しみ続けました。

私はここに虐待の傷や、自身の発達障害、子供の発達障害、親のケアなどいくつもの負担が重なっていたので、本当に一時期は廃人のようになってしまいました。

そして、支えだったはずの夫婦仲も壊れていきました。

被害の当事者である私と家族の間に生まれたズレ

事件については、当事者の私だけでなく、家族や彼も同じように苦しんでいました。

でも…
傷ついているのは同じのはずなのに、その間では少しばかしズレもあったりして…事件のことは話をしないということで一緒に居られるような部分もありました…


父は、加害者の親ともお話をしています。
子供を傷つけられた時の親の想い…
提示された慰謝料の少なさに怒りを覚えたこと…
それでも、被害者がたくさんいる中で、自分の娘より酷い目に遭った方を想って飲み込んだ気持ち…

母もまた苦しんでいたと思います。
実は、あの日、母に頼まれた用事で私は事件現場に行ったのです。
母は…きっと…自分をずっと責めていたはずです。

彼は…どれほどの思いを堪えたのか…計り知れません。

みんな苦しい思いをしていたのに、当時の私は、自分の傷ばかりで周りにあまり寄り添ってあげることは出来ませんでした。

きっと私がこれからも笑って過ごすことが、家族たちの傷を癒すことになると思うので、今も変わらず治療を続けています。

彼とは離婚をしましたが、私が救われることできっと過去の彼も救われるのではないかと思っています。

「PTSD と闘い人生を取り戻すお話~2~治療のこと」へつづく

Text by

障害手帳2級。本格的に治療を始めてから約16年。
今もまだ葛藤は抱えていますが、治療や取り組んできた事が実を結び、笑える日も増えました。更に理解を深めていき、これからも自分にとっての学びと向き合っていきたいです。希望や夢だけでなく、もやもや、どろどろな自分もぎゅっとしながら、出来ることを精一杯頑張ります。

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